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<連載小説 全7回>家庭内姉弟(第1回)

小学生杉田美亜、「宿敵」美少女・愛実への復讐の策は――?

第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回(完結)

教室のドアを開けたのは美亜(みあ)だった。

夏の西日がろうかにさっとあふれ出して、とっさに中に誰がいるのかわからなかった。だから美亜はすぐに飛びかかったりせずに、不機嫌な声をその影にかけた。

「悠太(ゆうた)?」

週一度のクラブ活動で、思いきり校庭を走り回った後だ。満足して下校しようとした美亜の通学帽を、同じクラスの悠太がうばい取って逃げたのだ。
無視して帰ってもよかったが、結わえた髪が引っかかって腹が立ったので、結局追いかけた。もう一走りと悠太の頭にげんこつを一振りなら、整理体操がわりとしてもまあ、悪くはなかったし。
けれど校舎を逃げまわる悠太を、美亜は追いかけるうちに見失った。てっきり教室にもどったのかと思って来てみたら。

「――!」

教室の中で、あわてる気配と、とっさに身を引きはなす動きがあった。

「杉田、何。忘れ物?」

上ずった声の主は、悠太ではなかった。
優等生の篠塚瑛(しのづかえい)が、机にもたれてさらさらの前髪をかき上げていた。逆光にふち取られたそのポーズが一枚の絵のようで、美亜でさえ一瞬返事を忘れた。

「ちがう、けど――あんたこそ何してんの?」

言ってから気付いた。もう一人、瑛の陰にすっと半分隠れようとする奴がいる。
悠太か? ばかな奴。スマートな瑛の体に隠れられるわけがない。美亜は身を乗り出して、そいつのうつむいた顔をのぞき込み。

「げっ」

思わずつぶやいた。悠太どころか。それは女子だ。
よりにもよって立花愛実(たちばなあいみ)ではないか。
目下、美亜がいちばん会いたくない相手だった。天敵といってもいい。
愛実は美亜にあいさつするどころか、長い髪の下で困ったような、恥じらうような目をふわりとふせて、こちらを見ようともしない。その様子に美亜は舌打ちしたくなる。
瑛と愛実。いまいましくも五年二組で一番の美男美女が、こんな時間まで何をしているのだろう。
愛実はずいぶん瑛にひっついて、瑛の半そでシャツのすそをくっとつまんでいる。いや、美亜の見まちがいでなければ今しがた、もっとひっついていたような。

「あーー!」

その時、美亜の後ろからすっとんきょうな高い声がした。

「キスしてた! 今キスしてた!」

低学年の子どもみたいに指をさして何度もさけぶ、今度こそまぎれもなく悠太だった。
興奮するのはいいが、片手にぐにっと握りしめているのが美亜の通学帽だということは、早めに思い出した方がよかっただろう。悠太自身のために。

というわけなので、その時教室の戸を開けたのは確かに美亜だったが、「その瞬間」をきっちり目撃したわけではない。後から来た悠太は、なおさら何も見てなんていないはずだ。瑛と愛実が何やらただならぬ空気だったことは、確かではあるけれど。
そんなことを朝のホームルームで証言するはめになったのだから、やはり悠太は迷惑な奴だ。こんなのわざわざ言いつけるなよアホ、とため息が出る。どうせまた愛実が目立つだけだ。
それでも疑義が申し立てられれば、議場は立ち上がる。退屈な朝が一転、緊迫した臨時学級会に――本気で気色ばんでいるのは悠太だけだったが。

「してたじゃん昨日! 杉田も見てたって、絶対」
「うるさいなあ、知らないって。また泣かすぞ悠太」
「泣いてねえし!」
「静かにしてください!」

急きょ日直とバトンタッチした学級委員の桶田彩乃(おけたあやの)が、教卓からにらみつけてくる。

「杉田美亜さん、ちゃんと答えてください。つまり篠塚君と立花さんが、その……」

もじもじと言葉をにごすマジメな彩乃にややしらけつつも、美亜はとりあえず事実だけ伝えて論点を戻すことにした。

「キスしてたかは知らないけど、放課後残ってたのはよくないと思います」

自分も残っていたことはこの際無視だった、悠太のせいだし。だが効果はあったと見え、彩乃は厳しい視線を瑛と愛実に送る。

「小川悠太君と杉田美亜さんはこう言っていますが、どうですか。
放課後残らなくちゃいけない理由がありましたか。篠塚瑛君」
「……」
「立花愛実さんはどうですか?」
「……」

二人ともうつむいてだまったままだ。
担任の豊岡由美子先生も、黒板の脇に立ったままだまっている。
すると彩乃は口にした、こういう場合の常套句を。

「皆さんはどう思いますか?」

皆は顔を見合わせていたが、やがて一人の女子の手が挙がった。

「立花さんは、最近遅刻が多いと思います」

今の議題に直接関係ないことだったが、彩乃は安堵したようにそれをそのまま黒板に書いた。
遅刻、が――多い。
その文字に勇気づけられたように、ぱらぱらと手が挙がり始めた。

「立花さんは、いつもじゃないけど、忘れ物をする時があります」
「立花さんは、掃除当番の時でも先に帰ってしまうことがあります」
「立花さんは――」

意見が出るたびに、愛実はどんどん小さくうつむいていく。瑛が周囲をにらみつけているが、あまり効果はない。
――意外な展開だ。
美亜は、いい気味だと思った。そりゃあ、たまには愛実だって、痛い目を見た方がいい。


だって愛実はずるいのだ。非道なのだ。
愛実の前ではいつでも誰でも、そのかわいさにごまかされて、都合よく動かされてしまう。
巧妙なのはそういう時、愛実自身は何も言わないところだ。
吐息一つ、まつげの上げ下げ一つで、いつの間にか周りが動かされている。美亜自身、愛実の掃除当番を交代させられたことがある。あの恨みを忘れはしない。
どんなときでも、愛実はそこにいるだけで全面的に正しいことになってしまう。
そして何より腹の立つのは、あの申し訳なさそうな表情だ。
愛実は決して謝らない。ただうつむいてだまって、いかにも自分にはどうしようもないという顔をする。きっとそれが一番効率がいいと自分で知っているのだ。

だから今だ、思い知るなら今だ。勢い込んで美亜も挙手しようとしたが、その時。

「いいですか」

ずっとだまっていた豊岡先生が静かに挙手した。

「立花さんは言わないでほしいと言っていたのですが。――立花さんのお母さんは、今妊娠されています」

その一言で教室は静まり返った。

「赤ちゃんが生まれそうなんです。おめでたいことですよ。でも、お母さんが生まれてくる赤ちゃんの準備で大変になってしまうと、おうちのことは立花さんががんばらなくてはいけませんね」

若い豊岡先生のはりのある声が、教室のすみずみにひびき渡る。

「立花さんのお母さんはおからだがあまり丈夫でないので、よけいにです。けれど立花さんは、そのことはみんなに言わないでほしいと言いました。なぜだと思いますか?」

話しながら、先生は全員の顔を一人ずつ、じっと見つめていく。美亜は、にらみつけるように先生を見返した。

「みんなに心配をかけたくなかったからです。みんなは、立花さんの遅刻や忘れ物が多いと言いました。でもそれは、なまけていたからでしょうか?」

答える者はいない。すっと肩を下ろして、先生はいくぶん柔らかく、また話し始めた。

「篠塚君は、立花さんのおとなりに住んでいて、通学班も一緒です。おうちのことを手伝ったり、勉強で追いきれないところを教えてくれていたそうです」

先生は黒板に書き連ねられた愛実の悪事をさっと消して、上から大きく「男子女子」と書きつけた。間に双方向の矢印を加える。

「みなさん、考えてみてください。男子と女子がいがみ合うのと、こんなふうに助け合うのは、どちらが正しい姿でしょうか?」

先生はちらりと美亜の方を見たようだった。昨日の悠太とのいさかいを見られたわけではないだろうが、似たようなことはいつでも起こっていた。
けれど自分に原因があったことなどない、と美亜は思う。降りかかる火の粉を払っているだけだ。美亜はぐっと力を込めて先生の目を見返す。

たすけあう、と誰かの声が小さく聞こえて、先生は視線を戻した。そして矢印の上に、赤のチョークできれいなハートの形を描いた。

「では、そうした自然な助け合いの中で、お互いを好きになるのは、不自然なことでしょうか?」

いいえ、と誰かが答えた。不自然じゃありません。さっきより大きな声だ。

「そして、親しい二人が互いを好きになったら、キスをするのはいけないことでしょうか?」

いけなくは――誰かの声を待たず、先生は続けて言い切った。

「先生はそうは思いません。みなさんはどうですか?」

もう正解はわかる。皆は声をそろえた。

「おもいません!」

先生は満足そうにうなずいた。

「二人に拍手しましょう!」

大きな拍手が巻き起こった。美亜も、つられて手をたたいてしまった。
けれど内心は、まったく不本意だった。

それから、ホームルームは愛実の話題で盛り上がり、結局一時間目はつぶれてしまった。
愛実と瑛はまるで姫と王子だ。立花家の家事は皆で助け合って分担しようなんて話になるし、そんなものをうばい合ってジャンケン大会になるしで、わけがわからない。

「まいったな……でも助かるよ。な、愛実。みんなありがとう」

ニヤケ面の瑛と、すまして無言の愛実。結局また愛実が主役だ。私たちはみんな愛実の引き立て役なのか?
もやもやしたまま一日が終わり、美亜は仏頂面で校門を出た。

「立花んちの赤ちゃん、男だってさ、弟。てことはさあ、立花に弟できたらさあ、なあ杉田ー」

後ろから悠太の能天気な声がする。美亜の内心などどこ吹く風だ。もとはと言えばこいつのせいだというのに。

「杉田ー、なにおこってんの」
「別に。ついてくんな」

悠太の家は確かに美亜の家の近所だが、だからって一緒に帰る必要などない。

「いや、今日杉田んち行くし」
「は? なに勝手に。来るなばーか」

藻で真緑のどぶ川の前で、美亜はしっしっと手を払った。美亜のアパートは橋の手前、悠太の家は川向こうのシャッター街にある。

「なんだよー。やっぱおこってんじゃん。ばーかあーほ」
「なにー!」
「うおっとぉ。じゃあ明日、明日ならいいだろ。よろしくー」
「来んな、来んな!」

美亜のチョップを素早くかわし、悠太は笑いながら川向こうに走り去っていった。

悠太め、愛実め!
美亜は二階建てアパートのさびた階段をかけ上り、鍵のかかっていないドアをガンと開け放った。
うだるような熱気が押しよせてくる。
玄関から奥まで見通せる狭い部屋はうす暗い。窓もカーテンも閉め切ったままだ。舌打ちして、大またで三畳のダイニングを横切る。
開けられるものはすべて開け放ってから部屋をふり返り、あきれた口調で吐き捨てた。

「暑い。死ぬよおまえ」

部屋のすみでじっとうずくまる巧翔(たくと)の背中を、美亜は足先でつついた。

「……ん」

一応生きているようだ。

「お姉ちゃんが帰ってきたら、おかえりとかないの」
「だって、ただいまもなかったよ」

のろのろ顔を上げる巧翔の手の中で、何世代か前の古い携帯ゲーム機が、サイレントのまま光だけを鮮やかに放っている。誰もいない時ぐらい音を出せばいいのに。
ずっと学校にも行かず、日がな一日部屋でうずくまって同じゲームをしているなんて、退屈で死んでしまわないのが不思議だ。美亜には理解できない。
美亜は巧翔の手からゲーム機をひったくると、ぷちっとスイッチを切ってやった。口ごたえした罰だ。

「あっ」

巧翔の目がみるみるうるんでいく。泣き虫め。よくそんなに泣けると我が弟ながら感心してしまう。まったく暑苦しい、しめっぽい。

「ママは?」

巧翔が首をふるふる横に振るのを見るまでもなく、母親の姿は部屋になかった。いつものことだ。
地に足がつかずに、いつもふわふわしているような母なのだ。引きこもっている巧翔を放っぽっておいて、どこに行っているのか、ちゃんと働いているのか、美亜に知るすべはなかった。興味もない。

「巧翔、顔洗って来な。っていうかやっぱおまえ汗かいてんじゃん、もうシャワーしろよ不潔。あとついでに風呂場洗っといて」
「今日の当番お姉ちゃんだよ」
「いいから」
「うう」

巧翔なんか相手にしている場合ではないのだ。灼けた畳に大の字になって、美亜はうなった。


――クラス替えのあった今年の四月。初めて同じクラスになった愛実と、美亜はちょっとしたことで衝突した。
衝突しなかった、というか。
その日の午前中に、愛実が保健室に行っていたのは美亜だって知っていた。だが何時間も前のことだったし、愛実はすぐに戻ってきて給食だって食べていた。
だから掃除の時間、当たり前のこととして、美亜は愛実にほうきを手渡そうとした。
ほうきだ。雑巾がけではないし、机運びでもない。立って腕をふるだけの簡単な仕事だ。むしろ本当のことを言えば、美亜がほうきの日だったのを、ゆずってやろうとしたのだ。
愛実はほうきをすぐには受け取らず、少し驚いたような顔をしていた。
そのとき、非難の声は周りから上がった。

――立花さん具合悪いんだよ。
――なんでやらせようとするの。
――自分がやりたくないからって。

いや、だって――美亜の声はかき消された。
愛実は何も言わなかった。
皆にされるがままになって、特等席のように教卓に腰を下ろして。顔だけ申し訳なさそうにして、働く皆をだまって見ていた。
結局ほうきも取り上げられた美亜は、見下ろされる視線を感じながら乱暴に雑巾をかけ、机を運んだ。
その態度がよくなかったのかもしれない。
翌日には、美亜が愛実をぶったことになっていた。ホームルームで、美亜は皆からこわいと言われ、暴力反対となじられた。ちょうど今回のように先生を味方につけられ、謝罪させられた。
そのときにだって、愛実は何も言わなかった。事実の歪曲に対して訂正することもなく、美亜の謝罪に返答すらなく。ただうつむいて、だまって。表情だけとりつくろって。
そのときわかったのだ。愛実の世界には、美亜はいないのだということが。
愛実にとって、美亜は言葉を交わすにも値しない、雑草や石ころのようなものなのだということが。

それが許せるか。許せるはずがない。

どうにかして愛実に仕返ししなくては。
美亜は考える。何かないか。何かないのか……。

                         <第2回へつづく>



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