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年末だから、運気について考えてみる。

こんばんは。
しいです。

最近、ふと思います。
今年、運気が良い年という場合、どうしたら良かったのでしょう?
例えば、10年に1度の幸運期が、人との出会いや外出、いろいろ控えた方がいい今だったとしたら、その運気はどこで発揮されるのだろう。
今が無事にいられたら、その表れでいいのかな…?
というのも、2020年のわたしは、いろいろチャレンジして、動いた方が良いという運気で、良い年になるはずだったのです。


そういう運気の流れをみる占いは、おもしろいなと思います。
単純に「今日良い日ですよ」なんてわかったら、うれしい。
良い時は良いように、ツイていない時は次の良い時を期待して待つ。
当たったらすごいと思い、何もなかったら「当たらんのかーーーい」とつっこむ。
そんな使い方をしています。

実際に、占い師さんにみてもらうことはないです。
自然に入ってくるいろいろなものを、都合よくかじっています。
なので、同じ時期でも、吉凶が混在していて、おもしろいです。
良い悪いは分かりやすい指標ですが、そういうことじゃなく、運気の流れを文章にしてくれるタイプの占い師さんがスキですね。
読みものとしても、おもしろいです。
もちろん、運気に左右されず、頑張ったり、努力することは大切ですが、それとは違う何かも影響しているものだと思っています。


もともと、シンプルな生活をしているわたし。
そうすると、なんとなくいいことが重なるなとか、イヤなことが続くなという時期がわかってきました。
1年の周期を考えると、いいことが起こりやすい月、イヤなことが起こりやすい月があったりします。
年単位だとあまりわかりませんが、占いが統計学なのであれば、そろそろデータとして、今までのことを振り返ったら、波がわかるかもしれませんね(振り返ったら、なんとなくパターンがわかるかな〜というくらいのお年頃です)。

そんなことに気づいたら、運がいい人は、週単位、月単位、年単位で、意識しているしていない関係なく、良いタイミングをつかめる人なんだなと思っています。


そういう良いタイミングやきっかけを、わたしはつかむことがうまくない方、成功確率が低い方だと思ってます。
でも、ここぞって時はいいかもしれません。
藁にもすがる、必死だった時ばかりです。
そこには、強い自分の意志(決断)が伴っていました。
残念ながら「それでしあわせになりました」というよりは、首の皮一枚つながったくらいの窮地のことばかりです。
それが、今までに3回?4回?
回数が確定しないのは、結果的に良かったのかわからないものもあるからです。
これって、多いのかな?それとも、少ないのでしょうか?

その時は「こっち」とか「正解だよ」みたいな、道がひらく瞬間を感じました。
電話をかける、はじめての人に会うなど、ちょっとした動きなのに、それ以上の勢いで、とんとんと話が進んでいく。
だから、自分なりのツライ、大変な期間は案外短いのかもしれませんね。
長くて3年くらい。
干支一回りすると12年。
その期間を四季で考えると一季節3年。
ツライ時期を冬の時期と考えると、3年は妥当…?
何もかも型にはハマらないでしょうが、そんなものかなと思ったりします。
それとも長い方?短い方でしょうか?



「道がひらいた」「人生が変わった」とか、そこまで大げさじゃなくても、小さなことでも、よろこびやしあわせには「能動的」な動きが、きっかけになることがほとんど。
でも、ここ数年は、誰かがきっかけを与えくれたもの、「受動的」なものも多くなってきました。
シンプルな生活になって、人がつくってくれたタイミングをつかみやすくなったということもあるかもしれません。
でも、それよりも、スキなことができて、スキが一緒、またはスキが似ている人が、わたしの周りに増えてきたことが大きいと思っています。
それくらい、編み物を通してできた縁が増えてきました。

そう考えると、「能動的」な自分の動きと、人と関わるからこそ生まれる「受動的」な動きと、両方うまくかみあった時に、1人では味わえない、充実を含んだ深いしあわせが得られるのかなと思います。
きっと、いろんな動きをあわせて、相互作用というか、化学反応を起こせる時が、運の良い時なのでしょうね。

それなら、今年数回ありました。
楽しいな、しあわせだなと思うことも、自粛生活の割にはありました。
あぁ、そうか。
そうだな。
どうも、やっぱり、今年は運気の良い年だったようです。



実は、来年も運気の良い年。
少し早いですが、ちょっと期待しています。
できれば、今年より、人に会える2021年になりますように。


では、今日はこのあたりで。