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ニガテがスキにならないとは限らない


こんにちは。
しいです。

積極的に外出できない、家族以外の人に会うこともなかなかできない今、家の中で過ごす時間が増えました。
「また、ごはんの時間か」と食事の準備など、家にいるからこそ増える家事にしんどくなったりしていますが、スキなことをして過ごす時間も増えました。

人それぞれの過ごした方があると思いますが、わたしは編み物だったり、読書が多いです。
あと、書き物も。

こういう事態になると、今は特に1人でもできそうな、スキなことがあることは、気晴らしになり、日々の支えになります。
わたしも今でこそ編み物がありますが、それ以前は読書するくらいで、スキなことがありませんでしたし、取り立てて、得意なこともありませんでした。
今も得意だと思うものはなく、わたしにとって編み物は「ニガテだけど、なぜか続けられているスキなこと」です。
今のような事態になる以前から、日々の生活をこなしながら、習い事をしたり、スキなものに熱中している人、得意なことがある人、いろんなことに興味がある人は、魅力的で憧れますね。


わたしのスキ遍歴

子供の頃、興味を持つものは多かったと思います。
どれも「これがスキ」というところまでは至らず、趣味らしいものもありませんでした。
好奇心はあるけど、移り気や根気が足りなかったと言えば…そう思います(苦笑)。
うまくいかなかったり、何かしらの問題や壁にぶつかると同時に熱が冷めてしまう。
それを乗り越えるほどの興味や想いの強さはなかったように思います。
幼さゆえの幼さ満載の行動ですが、ほとんど続かなかったですね、残念ながら。

読書も、ちゃんと読むようになったのは、小学校高学年になってから。
先生に「読解力アップのために、推理小説でもいいから、本を読みなさい」と言われたことがきっかけです。
それ以前は、宿題くらい。
さらに幼い頃だと絵本を読んだ、読んでもらった記憶もうっすらしかなく、家にノンタンシリーズがあったかな〜くらいですね。
大人になると、イヤでも文章を読むこと、書くことはついて回りますから、読む習慣やニガテ意識を薄れさせることは早ければ早いほどいいと思うので、このきっかけがあってよかったと思っています。

気軽にできそうな手芸も、実は大のニガテでして、学校などでやむを得ずということばかりでした。
不器用なのもありますが、じっと何かをすることがスキではありませんでした。
女の子っぽい遊び、それこそ、ままごとも誘われたらするくらいで、外で体を動かす遊ぶ方がスキでしたね(今はニガテです)。
それでも、大人になってから、たまに無性にしたくなって、没頭して、完成したものが増えすぎても困るからとやめるというパターンを繰り返していました。
子供の頃はプレゼントすることもありましたが、不思議とよろこばれた記憶がないのです。
照れて渡してしまう。
相手も照れてよろこべない。
お互いの照れ隠しが、ちょっとした成功体験になりそうな記憶を曖昧にさせ、必要以上にニガテ意識を持ってしまったのかもしれません。

そんなこんなで、熱しやすく冷めやすいわたし。
そんなわたしが何かを続けられていること。
その中に、ニガテだと思っていたものが含まれていること。
昔を思い返すほど、読書もですが、編み物し続けていることが不思議です。


ニガテだからって、できないものなのか?

社会に出たあとも、ニガテだからできないとは限らないと思うようなことがありました。

ある仕事で、高評価を受けている人がいました。
評判も良くて、次々と同じ内容の仕事が決まって、多忙に。
でも、その人はその仕事がニガテだと話していました。
依頼を受けた以上、真面目に、丁寧に、仕事をする。
それが高評価につながったものの、その人自身はそれよりもしたいことがあり、複雑な心境だったと思います。

そんな風に、本人はニガテなのに、第3者から見ると得意なことだと判断されたり、本人と他者の評価に差ができることは多々あること。

そこには、
「ニガテだから、できるようになりたい」
「ニガテだから、よりきっちり、より丁寧に」
そういう想いがあれば、ニガテだと思うことも、案外できてしまうのかもしれない。
ニガテ意識が強いだけで、本当にできないとは限らない。

そう考えているので、よほどイヤなことでなければ、ニガテなんだからうまくできなくて当然と開き直りながら、ちょっとやってみようか精神は強いです。



そして、今のわたしの興味は、ニガテ意識が強いパソコン。
案外、できてしまうかもしれないし…(ほんとかな???)

料理していても、切ることが全く上手くなりませんけどね。
まぁ、そういうこともあります(笑)。


では、今日はこのあたりで。