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アート的なジュエリー作品とジュエリー的なアート作品

先日、1年間延期となっていた『Contemporary Jewellery Symposium Tokyo 2021』が無事に開催されました。新型コロナウィルス対策の一環として対面式からオンラインプログラムへと変更し、2日間で延べ170名以上の方々にご参加いただきました。コンテンポラリージュエリー(以下CJ)分野の国内普及に向けた新しい一歩が踏み出せたのではないかと実感しています。開催にご協力、ご支援、ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。

さて、今回はプログラム全体の中で一番核心を捉えた質問(CJ分野で昔から問われてきたが未だに解決されていない問題)について紹介したいと思います。それはトークセッション②の登壇者、アーティストの舘鼻則孝氏が私に質問した「寺嶋くんはアート的なジュエリー作品を見せたいのか、ジュエリー的なアート作品を見せたいたいのかどっちなの?」という内容です。進行役で余裕の無かった私は、リアルタイムでの返答は恥ずかしながら濁した結果となり、この質問の重要さに気付いたのはシンポジウムが終了してからでした。私にとっても重要な問いでしたが、これはCJ分野で長年話題に取り上げられてきた「アートとしてのジュエリー」か「ジュエリーとしてのアート」か、と同じ問いでした。似ているようで全く異なった二つの言葉。この問いと真摯に向き合った私なりの分析結果をこれから紹介していきたいと思います。

コンテンポラリージュエリーの定義に辿り着くか?

私はこの問いを、以下の図のように整理しました。CJ分野の曖昧な部分を明確化する為に準備した私個人の見解です。「曖昧なんだから曖昧で良い」という意見もありますが、私は境界線の線引き、定義、議論することによって、今後のCJ分野がアップデートされていくと考えています。

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アート的なジュエリー作品

アート的なジュエリー作品とは読んで字の如く“ジュエリー”です。CJとはジュエリー分野の一部だとカテゴライズされています。既存のジュエリー文化のアップデート(着用の始まり、着用者の限定、素材価値からの逸脱、美の追及、職人制度への反発など)が根底にあり、そもそもジュエリーとは何か、なぜジュエリーを身につけるのか、といった問いに向き合っているアーティストや作品が多い印象です。「ジュエリー」という言葉や文化的背景(文脈)が核であり、現在に至るまでに着用性を重要視する作品から着用不可能な作品まで様々な表現方法が提案されてきました。基本的にはジュエリーの文脈内で語られることが多いので、CJとは小さなコミュニティ内で理解されるサブカルチャーのような分野だと私はアーティスト活動を通して感じています(一般的な宝飾業界をメインカルチャーと仮定したら)。また、ジュエリー文化が美術史とは異なった道を歩んでいることからロー・アートのコンテクストで語られたり、デザインという大きな単位で括られてアプライドアートとしてカテゴライズされています。他にも、アーティストが美術教育を受けていなかったり、現代アートの形式に沿っていない作品のことをロウブロウ・アートと呼び、多くのCJアーティストはこれに当てはまるのではないでしょうか。特に技法や素材の探求が制作基盤となっている国内の工芸ジュエリー作家は、無意識的にこのような制作活動をしているかもしれません。ジュエリーやアートのコンテクストを意識して活動しているアーティストは果たして何人くらいいるのでしょうか。

作品を流通させる場所は、主にCJギャラリー/CJマーケットで取引され、アメリカ、ヨーロッパ各国、オーストラリア、中国などに多くのCJコレクターが住んでいます。さらにここ数年は日本人アーティストブームが起こっており、多くの作品が美術館に収蔵されたり、企画展示が増加傾向にあります。※このマーケットについては次回詳しく紹介します。

ジュエリー的なアート作品

一方、ジュエリー的なアート作品は“アート”です。ここで発表される作品は、ハイアートのコンテクストの中でジュエリーの機能や形を使って造形されています。ジュエリーについての問いは必要なく、コンセプトを表現するための装置としてジュエリーは用いられています。なので、一般的に使用可能なサイズ感だったり着用性だったり、作品を観ただけでジュエリーとして理解できるものが多いです。これは、「これってジュエリーなの?」という問いがコンセプトを読み解く際にノイズとして認識されてしまう為、違和感なく「これはジュエリーだ」と受け入れられる必要があるからではないでしょうか(もちろん全ての作品に当てはまるわけではありません)。そして一番大事なのは、ジュエリーという形や機能を武器にする為に美術史のコンテクストを意識しているかどうかです。ここをしっかりと抑えることによって、ジュエリーのマーケットではなく現代アートのマーケットで作品が取引される可能性が格段に上がります。あくまでアート作品として制作することを前提に、戦略的に活動しなければなりません。

また、装身具史は12万年以上続く美術史よりも長い歴史があります。現代までの装身具史のコンテクストを整理し、美術史との関係性を唱えることが可能であるなら、ハイコンテクストとして現代アートの分野で認識される日が来るかもしれません。その為にはアーティストは作品を発表し続け、評論家や学芸員の目に留まるような活動をする必要があります。ちなみに、私個人は「ジュエリー的なアート作品」を発表する為に活動をスタートしました。シンポジウムの仲間である小嶋崇嗣氏と一緒に、20年代の新しい「ジュエリー」の形を模索中です。

まとめ

この二つを比べてみると、アート的なジュエリー作品はCJとして呼ばれることに関して違和感はありませんが、ジュエリー的なアート作品はCJと呼べるのでしょうか。私は無理があると考えています。本来であれば評論家や批評家、学芸員などが呼称を付けると思うのですが、残念ながらこのようなジュエリー分野は全くと言って良いほど注目されていないのが現状です。多くの人にこの分野が認識される為にはどうすれば良いのか、CJマーケット内だけではない新しい発信方法が求められています。その一歩目として私はシンポジウムという新しいプラットフォームを提案しました。二歩三歩と続いていき、いつの日か日本でCJのムーブメントが起こることを願っています。

色々と書いてきましたが、一番言いたいことは「アーティスト自身がどの方向性を目指して活動したいかという明確なビジョンを持つ必要がある」ということです。どの方法が正解でどの方法が成功に一番近いかなどは誰にもわかりません。ただなんとなく作るのではなく、個々のアーティストが一旦冷静に自身の活動を見つめ直すことにより、結果的にジュエリー作品全体の注目度が上がるのではないかと思っています。あなたはアート的なジュエリー作品が作りたいのか、ジュエリー的なアート作品が作りたいのか、はたまた全然違う動機で作りたいのか、どう考えますか?


コンテンポラリージュエリーシンポジウム東京公式Instagramアカウント

https://www.instagram.com/c_jewellerysymposium_t/

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