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シニアに学ぶ『退職後の輝き方』第10回尾田栄章氏『根本に遡って物事を見つめる 』

この記事は、2012年~2017年にかけて当委員会で連載されたインタビュー企画である「シニアに学ぶ『退職後の輝き方』」を再掲載するものです。インタビュー対象者のご所属等については、掲載当時の肩書のままになっていますので、ご留意ください。

福島県広野町 復興企画課 企画振興係 主任主査
1941年、奈良県生まれ。京都大学大学院修了後、1967年に建設省入省。アルメニア地震、ロマ・プリエータ地震、阪神淡路大震災では現地に派遣されるなど危機管理に携わる。1996 年に河川局長に就任し、河川環境を目的に加える河川法改正を主導。1998 年退職後、河川環境保全の NPO 法人を設立。2000 年には第 3回世界水フォーラム事務局長をボランティアで務めた。2013 年より福島県の任期付職員として広野町役場に勤務。
インタビュー日: 2014 年 4 月 16 日
聞 き 手: 黒田武史,保田祐司,日比野直彦

再掲載に当たって(委員会より)
 御年80才を越え、昨年も飛鳥時代に国土開発事業を手がけた「行基集団」の講演をされるなど、ご活躍のご様子の尾田様。その尾田様からのメッセージは、「根本に遡ってものを見る」ことの重要さ。
 どのようなことでも単独では成り立っていないので、答えを出すにはどうしたって相手との折り合いを考えざるを得ない。それにはスペシャリストというよりも、ゼネラリストであるべきで、すると自ずと「根本に遡ってものを見る」ことの重要さに気づくものだーという視点は、昨今のように現実社会のすぐ隣に登場した生成AIが産み出す虚像の社会との折り合いを探る時にもヒントになりそうです。             (2023.7.3 G)


土木屋として

今までの仕事内容を教えて下さい
 建設省当時は、一言で言えば、日本のインフラ整備に関係してきた、ということですね。建設省を辞めた後は、今までとは別のやり方でということで、NPO として世界の水問題の解決へ取り組んできました。広野町にきてからは、この 1 年間、広野の町の特色は何か、というのを自分の目で見て体で感じる、そういうことをやってきましたね。

退官後に仕事につかなかった理由は?
 入省後 30 年以上携わってきたのと同じような形で後半生を送るのは面白くないじゃないですか。ただ、世界の水問題に取り組むようになったのはたまたまで、2000年にオランダで開かれた第 2 回世界水フォーラムに日本が参加することになり、お誘いがあったからです。ボランティアでなら、ということで携わることになりました。

広野町の復興には河川屋として?
 自分は水だけの専門家だとは思ってないんです。水問題、あるいは河川問題を通じて、人と自然の係わりを見つめてきたわけですから、別に水だけで見ているわけではないです。
 それと、危機管理ですね。洪水や震災に対する管理を担当してきたので、危機管理は自分の仕事だ、天職だという思いがありました。
自分がやってきたことがいくらかでも活かせるなら、そこでお役に立ちたいという思いでやってきました。

根本に遡ってものを見る

土木屋に必要な視点とは?
 土木屋の仕事というのは、人間と自然環境を結び付ける、ということをやっているわけです。自然環境を人間が住みやすいようにどう変えるのか、そして変に変えすぎたらそれは人間に跳ね返ってくるわけです。だから、土木屋は一つの分野のスペシャリストというのも大事だけれど、本来はジェネラリストであるべきです。
 人と環境との関係で物を見るという視点さえしっかり持っていればどんな所でも通用するはずで、そのためには常に物事の根本に遡ってものを見るという癖をつけてないとダメですね。
 例えば行政官としてやるならば、今やっていることが法律の中でどう書かれているのか。それが自然と合わないなら、どんどん世の中に合うように変えていく、ということが非常に大切だと思います。
 やはり「物事を根本まで遡って見つめようとする姿勢」を持っていることは大事だと思いますね。ただ、そうすると嫌われたり煙たがられたりするんで、全てにその姿勢を貫く必要はないんでしょうけれども。

建設省時代から感じられていた?
 そう、だからこそ河川法改正に手を付けたわけです。河川環境の整備と保全を加えるとともに、その河川を管理する体系に関係住民の意見を反映するためのシステムを組み込んだ。いわゆる公物管理においては、関係する人々の意見を反映させるというのが非常に大事で、本来そうあるべきです。
河川法改正が先頭切って進めば、後から他の分野もついてくると思ったんだけど、なかなかついてこなかったですね。それはね、世の中変わるのには時間がかかるんですよ。河川法改正してから 15 年位経ってるけれど、まだまだですな。

今おかしいと思う事はありますか?
 どこの市町村でもそうですが、役場の職員数は人口の 1%程度なんです。広野町の人口は 5500人ですから 60人位。ものすごい幅広い仕事があるのに 60 人しかいないわけですから、縦割り行政ならぬ「一人割行政」にならざるをえない。有機的に組み合わせながらやっていたら仕事はさばけない。
一人でやるしかないんです。そういう中でも、こういう大震災が起こると、みんなが頭突き合せてものを考えないと解決策なんか出てこない。だけどそういう習性が無いんですよ。また、60 人という事は同学年が一人か二人しかいないので、競争原理が働くはずがない。
だから、市はともかくとして町村の行政は、県全体あるいはせめて郡全体で職員を採用して回していくというようなシステムにしないと良くならない。やる気になれば直ぐにできることです。

広野町の復興に携わる

試験を受けて広野町に?
 福島県採用の任期付職員の応募があって、一つは県の職員として働く、もう一つは市町村に派遣されるというカテゴリーがあり、市町村の方に応募したんですけどね。面接ではどうして県の方の仕事をしないのかという質問がありましたが、最先端のところで仕事をしたいという風に答えました。

上役からの具体的な期待はありました?
 それは無いですね。さっき言ったように一人一人が自分のことのみに集中していますから、他人のことには関わらない。一年間は(当時復興建設グループ参事兼専門官の)賀澤さんという、あらまほしき先達に教えてもらって、広野町はどういう町か、町民はどういう人かと い う の を 訪ね て歩 き ま し た 。(2011 年に大震災が発災、2 年後の 2013 年に着任した時)町民5500 人のうち 1300 人しか戻っておられない。除染もそれなりに進んでいるし、上下水道や道路も復旧している。あらゆるインフラが整っているのにどうして町民が戻ってこられないのか。逆にいえばどういうことをすれば戻ってもらえるのか、というのが私の最大関心事で、それをいろんな面で探ってきたという事ですかね。

いつまでやりたいというのは?
 石の上にも三年というじゃないですか。任期付職員は最長五年居れるのですけど、そこまではどうかな。しかし三年間はやっぱりやらないと確としたことは見えてこないんじゃないかな、とは思ってますけどね。

自分の頭で考える癖を

これから退職を迎える技術者へのメッセージを
 やっぱり、自分の頭でものを考える癖を付けるのは大事だと思いますね。もちろん学ぶことは大事だと思うけれども、やっぱり自分の頭で考えないとダメで、その癖をつけるのはものすごく大事だと思います。
                        (文責:黒田武史)

委員会からのメッセージ
 尾田栄章さんは元建設省河川局長。「お偉い人」とのイメージとは裏腹に、現場第一主義で自らが確認することを信条とする、「人間味あふれる方」です。退官後は NPO 代表として活躍、現在は、自らが志願した広野町の職員として、「どうしたら避難した町民が戻ってくるか」に取組んでいます。今回は、ご専門である河川・危機管理・行政面を始め、広野町職員として見えた復興や自治体の課題を伺う事で、後に続く土木技術者のするべきことを探ってきました。

インタビューを終えて(聞き手から)
 私たちが広野町役場に訪れたとき、2階の大部屋で他の職員の方たちと机を並べている中から、優しい笑みを浮かべて尾田さんが出てきてくれました。柔らかい話口調の中からは、鋭い見識が感じられ、和やかながらも緊張感も伴うインタビューとなりました。
 避難している広野町町民を一人一人訪ねられ、また、福島第一原子力発電所にも足を運ばれたと聞いております。徹底的に自分の頭で、そして根本まで遡って見つめる姿勢。直接お話を伺い薫陶を受けることができ、大変光栄でした。
 なお、土木学会誌 2014 年 4 月号には、被災地からの発信[第 14 回]「被災地の現場で考えること」という題で、尾田さんご自身が執筆・投稿されておられます。こちらも是非併せてお読みいただければ、と思います。

第10回特別編 現場レポート「土木技術者から見た福島復興の課題」

 尾田さんが70歳を過ぎてから取り組み始めた広野町の復興。聞き手 3 人は、復興状況と問題点を少しでも共有するため、広野町、そして楢葉町・富岡町と車で回りました。その様子は、第10回特別編「現場レポート 土木技術者から見た福島復興の課題」の記事でお伝えします。

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