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シニアに学ぶ『退職後の輝き方』第1回 松渕 得郎氏『ずっと現場でやってきた』

この記事は、2012年~2017年にかけて当委員会で連載されたインタビュー企画である「シニアに学ぶ『退職後の輝き方』」を再掲載するものです。インタビュー対象者のご所属等については、掲載当時の肩書のままになっていますので、ご留意ください。

鹿島建設株式会社東北支店土木部専任部長
1947 年生まれ。1970 年鹿島建設(株)入社。以後国内の橋梁・都市土木の建設現場に従事。2007 年に定年退職後、同社にて再雇用。現在に至る。
インタビュー日: 2012 年 1 月 26 日
聞 き 手 : 黒田武史,保田祐司,日比野直彦

再掲載に当たって(委員会より)                     10年前のインタビュー記事を改めて読み直し、松渕さんの建設現場運営(仕事)への熱い想いが伝わってきました。ご本人の仕事への想い、そして周りからの引退を惜しむ声は、まさに輝くシニアだと思います。若手時代の諸先輩の温かいご指導、厳しい経験を通じて、ご自身で現場運営を突き詰められ、諸先輩からの教えを「私の現場経営」にアレンジし後輩にも引き継ぐ。エキスパートであり、後進の育成も行う。当時の働き方は今のものとは大きく違っていましたが、仕事に対する情熱は今にも通じるものがあります。改めて輝くシニアになるための秘訣の一端に触れさせていただきました。(2021.10.1 Tuffy)

ずっと現場できた

ご自身を代表する経歴は? ご自身を代表する経歴は?
1970 年に入社以来、橋梁・都市土木に関わってきましたが、すべての現場が自分を代表する経歴です。大きい現場から小さい現場まで、良い思い出も悪い思い出もありますが、ほとんどは良い思い出です。しかし、頭に浮かぶのは、失敗・トラブルの現場が多いですね。
今まで異動について自己申告をしたことはありません。最初の現場配属から、考える間もなく次の現場が決まり、立ち止まる時間が無かった感じです。
また、長期休暇を利用した妻との旅行の予定は何回キャンセルしたことか。おかげで妻からの信頼はありません。

ターニングポイントは? ターニングポイントは?
ターニングポイントと言うのは有りませんが、様々な経験の中で徐々に変わったのだと思います。
新入社員の現場研修で、当時の所長から頂いた訓示「我々の仕事は良いものを早く安く作ることだ」という言葉は、私も現場でずっと言っています。
20 歳代は現場の測量、打設管理などに従事しました。25 歳で配属された橋梁工事現場では、所長には公私共々ご心配頂き、工務主任には、時間厳守、そして仮設計画の裏をしっかりとれ、と技術的に厳しくも温かいご指導を頂きました。言ってみればこれが自分のベースとなった経験ですね。
その現場の後、31 歳のときに 1人でやってこいと現場にぶん投げられ、1 人で見積もり、施工計画から全てやらされました。その後 30歳代半ばまで 6 年間ぐらい「1 人・2 人現場」が続き、自分なりにしんどかった覚えがあります。
死亡事故、火災事故や台風による建造物の倒壊など、様々な経験を積みました。そこから、火事・風がいかに怖いものかが身にしみ、以降自分の現場では気をつけてやるようになりました。

辞めたいと思ったことは? 辞めたいと思ったことは?          
 
辞職願を出さないといけないと思ったことが 1,2 回あります。でも、これは辞めたいというのではなく、責任の取り方の話です。
東北新幹線の橋梁工事現場で事故を起こし、開通に間に合わないと思った時のことです。その時、発注者が会社の方に「辞めさせるな」と言ってくれ、そういうのが非常にうれしかった。社内だけではなく、発注者の方々にもお世話になりました。

定年退職直前に現場所長に任命       
 
当時、現場(鉄道橋梁)ではトラブルが 2,3 件続いており、現場所長も施主とうまくいっていなかった。多分、会社として東北新幹線の工事に携わった私が適任だと判断したのだと思います。私の方から希望したわけではありません。当時は支社で土木工事管理部長をしており、現場のトラブルや瑕疵に関し、「何をやってるんだ。俺だったらこうやる。」という欲求不満がありました。その時に現場所長の声が掛かり、迷わず受けました。

現場運営では誰にも負けない

自分流の現場方式
 
昔、測量器具を両手で担いで階段で顔から落ちたことがあります。そういったトラブルや経験、上司の背中から学んだことを「私の現場運営」としてまとめ、一生懸命頑張ってきました。現場では、午前 1 回、午後 1 回巡り、作業員の皆さんや職長さんに声をかけるとともに、「ここが自分の真剣勝負だ」と思い、間違ったところ、不安なところ、不安全なところは無いか、と全ての情報をインプットし、昼・夕の打合せで全てしゃべりました。

第1回 図

部下に受け継がれた想い        
 自分の経験ややり方などは、会議などでは伝えることができません。人は自分の気になっていないことは頭に入りません。現場で最低 3 カ月ぐらい一緒に寝泊まりして、日々の動きを見ながらコミュニケーションをとってやりとりをしないとだめです。最後の現場にいた後輩は、もうそれぞれ所長になっており、非常にうれしい。その他の現場の当時の部下もそれぞれ成長しており、分身はあっちこっちに行っています。「私の現場運営」は、自分が先輩から学んだものを自分流にアレンジし引き継いできたものだし、後輩も引き継いでいってくれています。

資格も必要

最後に後輩へのメッセージを
私は痛い目に合ったわけではないですが、設計や土質の詰め切った細かい所が分かりません。真髄がわからないとお客様を説得できないので、技術士やコンクリート診断士ぐらいは最低必要であり、重要になると思います。また、品質・安全・環境は、どこで何をやろうと重要だと思います。
                         (文責:黒田武史)

COLUMN                 松渕さんに対する私の想いい       
 
再雇用になると、中には既得権益で座っていればいいやという人がいる中、松渕さんは現場主義だしやる気度も違う。「こうやって作って、計画して、コンクリートを打つんだ」という「現物主義」がすごく、現場を見る目が他の人より非常に強い。
松渕さんは魂を込める熱い人。技術力・現場を見る目も強いし、他の人のように上から目線で言う人ではない。是非これからも今までのノウハウが生かせる現場に出て、後進の人をどんどん育て、既に所長になった人にもマネジメントを伝えていってほしい。
迎田克介(鹿島建設(株)東北支店 土木部長)

インタビューを終えて(聞き手から)
松渕さんは、社内外の土木技術者が口をそろえて推薦するほどの技術者です。それなのに、しきりに「自分には技術が無い」と謙遜されておられ、「会社の役に立たないようであればいつでも不要」など、非常に謙虚な方でした。
「やっぱり現場が好き」「現場で皆さんとしゃべるのが好き」「現場が続くのであれば 50,55,60 でも 65 歳でも変わらない」と現場一筋で来られた松渕さん。日本の土木を第一線で支えてこられた松渕さんのお話と、土木部長の迎田さんからの想いをお聞きすることができ、大変心温かで有意義な時間でした。

2松渕氏(黒田ロゴ)


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