もしもフットボールが無かったら。
サッカーに関して、毎日色んなことを考えるけど、
もしこの世にサッカーが存在しなかったら
どんな世界になるのか、無謀にも想像してみた。
自分なりに想像して紙に書き出してみたら、
少しだけ、納得できることが見つかったので
書いておこうと思う。
( 矛盾するけど、
これは想像できるものじゃないと思っているから、
こうじゃないああじゃないみたいな意見は受け付けない。 )
フットボール以外のスポーツは存在しているという前提。
選手、指導者、サポーター、その他多くの関係者。
クラブ、ユニフォーム、サッカー場、サッカーボール、その他多くの関係するモノ。
これらが存在しないとする。
基本的には、
ヒトは 他のスポーツや関心のあるものに関わり、
モノは 他の価値ある所にそのお金が流れる、
じゃないか、と思ってる。
サッカーがなくても、
野球でも、陸上競技でも、水泳でも、ゴルフでも、ハンドボールでも、カバディでも、
スポーツはいくらでも存在する。
また、音楽家やアーティスト、絵描きやモノづくりなど、
別の道だっていくらでも存在する。
きっとフットボールが無い世界でも
フットボールに関わるはずだった人は生きていける。
そもそも存在しないのなら、
フットボールのことを考えることはないわけだ。
でも、何となく思う。
多分、誰かが、何かしらのボールを蹴るだろう。
そこに人が集まるのだろう。
僕個人の、何となく、でしかないけど。
根拠なんてないけど。
多分、高確率で、そうだろうと思う。
あと、もう一つ思うのは、
フットボールの魅力に一目惚れをした人たちのこと。
フットボールが無かったら、
もしかすると、それに代わる生き甲斐が見つからないのかもしれない。
電撃が走る衝撃、心が躍る瞬間、時間を忘れて没頭するもの。
それらがフットボールでしか味わえない人なのかもしれない。
思い浮かべるのは、プロ選手より圧倒的に多いサポーターの人たち。
現実世界では、
人間が出せる最大限の喜怒哀楽を表現したり、
ボールを蹴ることでアイデンティティを表したり、
生活の一部、いや全てをフットボールにつぎ込んでいる人だって多い。
それほど熱を持てるものが、他にあったのだろうか。
災害に見舞われたとき。
絶望の最中にいるとき。
少ないスペースにボール一つで入り込むことができる。
少し時間が必要でも、
フットボールは前に進むための
分かりやすい原動力になっている、という事実だってある。
そう。
『 フットボールは人々の 拠り所 なんだ 』
もちろん、フットボールに限った話ではない。
だから正確には、人々の拠り所の一つ、なんだと思う。
ただ、現実世界で見ると
世界で最も大きなコミュニティであり、
世界で最も人々の拠り所になっているものだと思う。
その存在がない世界を考えて初めて、
フットボールの存在意義を少し理解できた気がする。
フットボールのある世界に生まれて良かった。
心からそう思う。
最後に
改めて、フットボールだけが人々の拠り所ではない。
フットボール以外で、熱を持てるものがある人だって多い。
全ての人が、自分の拠り所を尊重し合える関係を望んでます。
以上、綺麗事でまとめるチウバでした。
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