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【小説】また一緒に良い仕事をしよう

 全力で暇そうな感じを出す。それが城崎さんの仕事の流儀だった。

 発車ベルの鳴り響くホームに北風が抜ける。肩で息をしている間に動き出したのが向かい側の新幹線だったと気づくと、両足の重さが倍になった。革靴のかかとが今朝よりも少し擦り減ったのはたぶん気のせいじゃない。

 会社を出たばかりだというのに、ホームから見上げた高層ビルが夜空の代わりに瞬きはじめている。さっきまでいたフロアを一瞥してから乗り込んだ車両には自分と同じスーツ姿がまばらに見えるだけだ。

 ジャケットを脱いで座席の背を寝かせる。一週間分の疲れが背もたれに沈むように吸い込まれていく。たちまち襲い掛かる睡魔に抗うように流し込んだビールは、くっと息を呑むほど冷たい。

 軽くなった缶を窓の前に置いたときにはもう、荒川の上だった。

--*--


 城崎さんが金沢に異動して2年になる。ここ数年は人の入れ替わりが激しく、新人だったはずの自分がいつしか一番の古株になっていた。
 重たかった融資案件を年末に終えてからは原因不明の耳鳴りも治まり、身の回りが片付いていく感覚を覚えた矢先の辞令。驚きこそしなかったが、4年分の記憶が一気に頭の中を巡るのは思っていた以上に慌ただしく、連日連夜の送別会と相俟って体力を消耗させた。

 車窓の切り取った闇がわずかに白む。日本海に出たらしい。

 バッグから業務マニュアルを取り出す。ホチキスを留めなおしすぎたせいで、丁寧にページを捲らないと今にもばらばらになってしまいそうだった。
 青字のメモで埋め尽くされた余白の中で、ひときわ何重にも丸で囲んだ部分がある。そこに並んだフレーズをそらんじることができるのを再確認してからは、黒い海に溶け込んでいく夜空をただ眺めていた。


 改札に向かう階段から、紺色のトレーナーとジーンズを着込んだ細身のシルエットが目に入った。「お久しぶりです」と軽く会釈をしながら足早に階段を下り、改札を抜ける。同じ台詞を今度は口に出して伝えると、懐かしい声とももに肩をたたかれた。

「よくきた。先に荷物置きにいくか」
「あ、でもお店しまっちゃいません?」
 時間がもったいないからそうするかと言って二人で駅の東側に出ると、噂に聞いていた荘厳な鼓門が出迎えてくれた。ゆるく螺旋を描くように組み合わさった巨大な木の柱をくぐり、金曜の夜の街を歩く。東京にはない静けさに耳を済ませる。

 「年度末はこっちも忙しいんですか」

 隣を歩く元上司にぼくは尋ねる。背筋を伸ばして振る腕の動きは相変わらず規則正しく、オフィスから一緒にランチの店へ向かっていたあの頃の昼休みを思い出させた。

 「本店ほどじゃないな。違う忙しさはあるけど、全然」

 赤信号で立ち止まるのと同時に、城崎さんは呟くように言った。
 1秒遅れてぼくも足を止める。前を向いたままの城崎さんの目は、向かいの信号機よりずっと遠くを見ている気がする。
 本店以外での仕事を知らないぼくは「そうなんですね」とだけ返し、歩きながらそれ以上のことを聞こうとはしなかった。

「ここ前に会社で来たんだけど、よくてさ。」
 2階に向かう細長い階段を上がりながら城崎さんが言う。電球色に照らされた店内は賑わっていたので、団体客から少し離れたカウンター席に座ることにした。

「なんか飲んできた?」
「新幹線でビール1缶だけ」
 そう言うと城崎さんはメニューに手を伸ばし、地酒のページを開いた。
「じゃあのっけから行こうか。すいません、天狗舞を2合。お猪口2つで」
 2年ぶりに酌み交わした盃からすするひとくちは、指先に届くほど深く沁み込んだ。刻み生姜のたっぷり入ったお通しのなめろうが、俄然食欲をかき立てる。

「審査部、希望出してたのか」
 のどぐろの炙りの安さに驚いているぼくの横で城崎さんが尋ねた。
 先々週、辞令が出て真っ先に送ったメールでは異動先を伝えただけだったから、城崎さんに細かいことは伝えてない。「一度現場を離れてみたいと言っただけで、まさか営業を出て審査に行くとは思ってなかったんですけど」と言うと「じゃあ半分は希望どおりなんだな」と至って真面目な顔で返された。

 この春に異動すること自体は予想どおりだったが、異動先には正直戸惑いがあった。畑違いの仕事に携わると知ってからは、ここ1年ほど自分が感じていた自信がただの慣れであったことに気付き、異動先への挨拶メールを1通送るだけで両手に汗が滲んだ。

 経験したこともないような大口融資、難案件の審査。回収の目途が立たなければ当然断らなければいけない。依頼してくるのは百戦錬磨の現場のベテラン営業社員たちだ。NOの回答に求められる理由は、社内の事情を知らない融資先に伝えるそれとはわけが違う。
 逆に審査部のお墨付きで融資をするのであれば、焦げ付くなんて事態は許されない。そのYESの重みに自分は耐えられるだろうか。企業向け融資を4年やっていただけの自分にそれが務まるとは、日に日に思えなくなっている。

 そして何より、城崎さんたちとともに仕事をした営業部門を離れるという事実に、どう向き合えばいいかわからなくなっていた。

「城崎さん、投融資企画にいたとき審査部とやり取りってどれぐらいありました?」
「しょっちゅう。やり取りというか、戦い」
「仲悪いって言いますもんね」
「あいつら、審査基準の変更を憲法改正みたいなトーンで語ってくるからな」
「あいつらとか言わないでくださいよ。来月からぼくそこ行くのに」
 肉厚のホタテをほおばりながら言うと、城崎さんは今更何を言ってると言わんばかりに天狗舞を1合追加した。


 投融資企画部と審査部が対立する構造は、体感こそないが理解はしているつもりだった。

 投融資企画部は、全国の支店の営業方針を決めるいわば営業部門の統括的役割を担う部署だ。かつて城崎さんもそこで担当者として数年を過ごし、ぼくが新人配属されるちょうど1年前に、生粋の営業畑として本店の課長になった。
 投融資企画部の主導により、融資先の事業の将来性や経営者の手腕を重視した融資を良しとする風潮が高まる中で、財務状況や回収見込みなどの定量的な評価が杜撰になることに審査部が難色を示し続けている。営業の支障でしかないと思っていた声も、これからは自分が上げなければいけないと思うと途端に正当な理由があるように見えはじめていた。

「でも立場が違うだけだからな。見てる先は同じ」
 ぼくの心を見透かしたように城崎さんが言った。何事もなかったかのようにお猪口に残っていた天狗舞を飲み干し、手酌で次の一杯を注ぐ。
「先は、お客さん」
「そう。健全な牽制。三権分立と同じ」
 城崎さんが続ける。
「だから社内で死ぬ気で戦ったっていい。負けると悔しいけど、お客さんのためになるなら悔しがるってのも妙な話だ」
「でも融資を受けられなかったらお客さんは困るだけじゃ」
「できるのは融資だけじゃない」

 箸を止めるぼくに「注文って全部来たか?」と尋ねながら、トイレに行くと言って城崎さんは席を立った。

 治部煮がまだ来てないので店員に声を掛ける。「今すぐお持ちします。お飲み物はよろしいですか」と卒なく返されたので、今週のおすすめ地酒を注文した。これは春らしくて美味いですよと言う声が頭を素通りする。

 足元のバッグから業務マニュアルを取り出すと、バッグのファスナーにホッチキスが引っかかって最後のページの端が少し破れた。紙片がひらりと床に落ちる。セロテープの補修箇所がまた増えるなと思いながら、それを拾い上げて財布の小銭入れにしまった。

 空になったお猪口を口に付けながらページを捲っていると、涼しい顔で城崎さんが戻ってきた。
「懐かしいもの持ってるな。古いだろそれ」
「これ、城崎さんに見せようと思って持ってきたんです」
 そう言って4年前の組織体制図のページを開いた。「課長:城崎」の文字は見えるが自分の名前は見当たらない。新人として配属される前に作成された業務マニュアルだから当然なのだが、自分がここに存在していなかったという記録は何故だか過去の業務フロー以上に忘れてはいけない気がして、ずっと持ったままでいる。

「お待たせしました。治部煮と、遊穂のうすにごりです」

 金箔の散った治部煮を二皿に取り分ける。とろみの利いただし汁が、大きな鴨肉を包むようにゆっくり滑り落ちていく。
 お猪口に注いだ濁り酒から、ほのかに梅の花の香りが舞った気がした。

「これ、あのときのメモか。お前が客先に全然違う金利で融資提案したときの」
 城崎さんがネタを見つけたような口調で言う。
「そうです。城崎さんに電話変わってもらったときです」
「むちゃくちゃ怒られたなあ。どう謝ったかなんてさっぱり忘れたけど」
 今日一番の声で笑う城崎さんは、あの日の電話を終えたときと同じ顔をしていた。全然忙しくも辛くもなさそうな、まるで飲み会帰りのような顔を。

「素直に、謙虚に、懐深く」

 マニュアルで何重にも丸で囲まれた箇所をぼくが読み上げた。正確には読み上げるふりをした。
 城崎さんが黙ったまま治部煮を口に運ぶ。

「全力で暇そうな感じを出せ」

 お前そんなことまでメモってんのかよと言う代わりに、城崎さんは少し吹き出すようにしてお猪口をカウンターの上にカツンと置いた。「部の研修で城崎さんが言ってた台詞ですよ」と伝えると、おれ若手に向かって何言ってんだろうなと、城崎さんはまたのけぞりながらケラケラと笑った。

「仕事は一人じゃできないのに、忙しくしてたら誰も相談に来れないだろ」
「忙しそうなやつに新しい仕事は来ない」
「だから全力で暇そうな感じを出せ。そういうやつの方がカッコいいんだ」

 あのとき城崎さんが言った台詞は録音されたテープのようにぼくの中で流れ続け、今の自分をつくっている。

 忙しくしていると自分のことしか考えられなくなる。周りが見えなくなる。それは立場の違いを忘れることであり、誰かのためを思って行動しているはずが、実はお客さんや一緒に働く仲間から目を背ける結果になっていたりする。
 そう気付いたのは、城崎さんが異動してしばらく経ってからだった。

 自分なりの解釈を告げると、目を瞑ったまま城崎さんは「まあ一理ある」といなすように一言だけ返してくれた。
 そして、それ以上語ることはなかった。


 翌朝の金沢の街には、日本海から延びてきたような濃い青空が広がっていた。

 城崎さんに連れられ向かった近江町市場で、念願ののどぐろのお寿司に舌鼓を打った。午後は、主計茶屋街の石畳を元上司と二人並んで歩いた。こんなこと後にも先にもこれっきりだろうと思っていたら、その後訪れた兼六園で城崎さんが同じことを呟いていた。

 夕方には東京に着く新幹線に乗り込み、城崎さんとお別れをした。
 窓の左手で、初めてちゃんと見る日本海が寒々しい青を深めていた。

--*--


 月曜出社すると、受信ボックスの一番上に城崎さんからのメールが届いていた。

 異動前にはるばる金沢までありがとうという御礼が数行。そこに続く言葉を目にした瞬間、それが自分の中でまた新たに流れ始めるのがわかった。

立派に成長した姿を見て頼もしく、そして安心しました。

これから世界が広がり、今までの見方は営業現場からだけの見方だったなと思うときが出てくるとは思うのですが、そしてその感覚は正しいとは思うのですが、営業の感覚なり想いなりはどこかで覚えておいてほしいなと。
世界を広げながら、これまでの経験を糧に、素直に謙虚に益々成長してほしいなと。

審査部で身体に留意して頑張ってください。
また飲みましょう。
そして、また一緒に良い仕事をしましょう。 


今日もぼくは必死に仕事をしている。
自分じゃない誰かのために。すごく暇そうに。





=== 以上、4,747字。ここからあとがきです。===


#仮面おゆうぎ会 に参加してました。

迷いに迷い、応募締切1分前の5/23(日)23:59に提出しました(るいすさん、ぎりぎりで本当に申し訳ありませんでした…)。当然、エントリーナンバーは一番最後。No.29になりました。

元々は、6/6(日)に投稿作品が消えるのと入れ替わりで仮面を取るつもりでした。でも界隈に仮面がすでにたくさん落ちていて、お前なんでそんな引っ張っとんねんという自問自答が止められなくなり、今に至ります。笑


小説というものを、初めて書きました。

文章を書くのは好きです。くだらないショートショート(とも言えない何か)を書いたこともあります。でも真面目な物語なんて書いたことない。自分にそんなもの書けるわけ…と悩みながら、応募作品が増えていくのを見ていました。興味あるけど逡巡して足を踏み出せない、傍観者でした。

そんな気持ちも、Twitterのタイムラインを眺めているうちに少しずつ変わってきました。企画を心から楽しんでいる方、作者予想でわいわい盛り上がっている方、小説の面白さを語る方、そして数名のイケメンたちを見ているうち、湧き出る気持ちを押さえられなくなり、PCを開きました。応募締切日である5/23(日)の正午すぎのことでした。


「フィクションって何書けばええんや」


当然です。書いたことないんだから。小説なんて最近ろくに読んでないし。ていうか本もろくに読めてないし。仕事ばっかしてるし。

そんな状態で過ごすことしばらく。何が舞い降りてきたのか「…それなら仕事の話でも書くか」と突然気が軽くなり、まくし立てるようにキーを打ち続けました。

何とか23:59に最後の一行を書ききり、応募フォームから提出。
その後の心境は以下のような感じです。

他の作品ちゃんと読め。お前、なんで応募ボタン押したん。
日本酒の描写で作者バレるのでは…「遊穂 うすにごり」ってチョイスするか普通…。「花さか遊穂」と書かなかっただけマシだけど…。
「解釈」とか「三権分立」とか普段のカタいワードを隠せてない。
こわくて応募作品のマガジンを開けない。




いやいやいやいや、応募しといてそんなんあるか。

少しずつ、応募作品を読み始める。諸事情あって応募する週末までまったく余裕がなく読み込めていなかったのですが、読み始めると止まらない。しかも、気付けばぼくの作品にスキを押してくださった方もいる。

!!!

noteで小説書きの方をたくさんは存じていないけど、誰の作品かわからないけど、なんか面白いぞこれ…!読まないなんてもったいない。読むしかない。妻に、noteで面白い企画があるよ!と声を掛けました。

そこから、夫婦で応募作品を読みまくる日々が続きました。気付いたら、全作品読んで感想noteをまとめるぐらい。

どんな方が、どんな想いで、どんな反応を待って書かれているんだろう。そう思うと感想を書く手が止まったりもしました。でも、こんな楽しい文章たちを読んだ気持ちを放っておくわけにはいかない。届けなければ。その一心で妻と感想を綴っていきました。

そして迎えた先週末。
結果発表とともに仮面が落ちる落ちる。

全作品読み切る → 0次会完了
全作品感想完走 → 1次会終了
本日結果発表  → 2次会スタート
私でした~~  → 3次会突入
仮面落ちすぎ拾えない → 数名失踪4次会へ
感想へのお返事もらう → なんかもう号泣

こんな感じ。感想と感激の応酬。めっちゃ楽しい。

もちろん自分の作品を出していたのもありますが、この人に感想を届けられたんだ!という喜びが一番大きかったです。結果発表を終えても止まらないドキドキ。冷めやらない興奮。こんな感情、久しぶりに味わいました。るいすさん、天才すぎます。天才すぎます。すぎます。天す。


……最後に、少し落ち着いてちょっとだけ。

上に転載した作品は、応募したものに若干の追記・修正したものです。伝えたかったニュアンスが出るように、少し表現を変えてみました(伝わるようになったのだろうか…)。

この物語は、自分の体験談を元にしています。実話とフィクションの配合比率は内緒です。金沢は、ぼくの母方の祖母が生まれ育った土地。ちなみにぼくの本職は銀行員じゃありません。

他の方の作品を見ていて、物語ってこんなに書くの難しいんだな。すごいな、ほんとすごいな。と思うばかりでした。でも同時に、どうすればこんな文章を書けるようになるんだろう…と何か新しい気持ちが湧き出てきたのも事実です。小説って、楽しいんだ。

No.29の作品を読んでくださった方、スキをくださった方、感想をくださった方、本当に本当にありがとうございました。作者予想をしてくださった方も何人かいて、挙がっているお名前を見てめちゃくちゃ小さくなってました…(今思い出してまた小さくなっている)。

あと、最初の読者を務め、自分の作品に感想なんて書けないと言っていたぼくに代わって感想を書いてくれた妻も、ありがとう。きみのほうがぼくより先にこの企画を楽しんでたね。一緒に読めて楽しかったよ。


初めて書いた小説。それがこんな形で人様の目に触れるとは思っていませんでしたが、「創作」の楽しみを改めて教えてもらった気がします。

こちらの企画がなければ、小説を書く勇気は起きませんでした。るいすさんと皆さまに、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。



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