【ADHD】【ASD】利用者の保護者と話す時

先日、ある方とお話をしている時に
「しるえらさんは、利用者の保護者とお話する時に、自身が発達障害当事者だって言ってるんですか?」
と聞かれた。
「当事者だから寄り添って支援をしてくれる、話を聞いてくれると思うんじゃないかな。」
と思ってくださったらしい。

今のところ利用者関係には言っていない。

発達障害にも色々なケースがあって、私は通常級しか通ったことがなく、一応大学進学・卒業もして、現状で一応社会に順応できているケースかと思う。でも、保護者の相談を受けたりしている立場として、不安感は与えたくないし、あとはその反面
「じゃあ、うちの子も通常級に行って将来大学進学して就職して生きていけるかも!」
と根拠もなく思いこませてしまうのも怖いと思っている。

(これから就学相談の時期に差し掛かるので、結構ドキドキしているけど、それについてはまた別の機会に書こうと思う。)

やらかしは毎日あるけど、保護者とお話をする時はボロを出さないように、
「相手の話が終わるまで待つ。話が一区切りしたら、3つ数えてから『そうでしたか』とまず受け取ったリアクションをする。それから・・・」
等と自分の中でお約束を一つずつ確認しながら話している。定型発達の人はこんなこと考えなくても同じ間で対話ができるんだろうなあ。

話している間に、
「どうしたらいいでしょうか。」
と答えを求められることがある。これまでの支援経験の中で分かっていることも話すけど、参考として自分が日常生活の中で行なっている工夫や気をつけている点をお話ししてあげたい時は、それらを以前本で読んだことにして話したりしている。例えば、キッチンタイマーやスマホのアラームを駆使することとか、目に見える形でスケジュールを表示するようにすることとか。
「大人になった時のことを想像したら、とても不安で」
という話が出てくることがあれば、発達障害当事者ということはわざわざ言わないけど、自分がスケジュール管理や切り替えを強固なものにするためにしている工夫として話すことはあるとは思う。でも、なんでそんな回りくどいことをするかと言うと、それらの方法を行わないと「切り替えができない」「スケジュール管理ができない」人と取られてしまう気がするから。人によっては
「大人でもそういう方法を取ってるのか。有効なんだな。」
と前向きに取ってくれることもあるだろうけど、
「この人に相談しても大丈夫かしら。」
と不安感を与えてしまったらいけないなあ、と立場上思ったりするわけで。これも自己肯定感の低さから来ている行動かもしれない。

今日はこれから仕事とは別口で、発達障害の疑いを持ち始めた10代の子と会って話をしてくる。最初から当事者であることがベースなので、ストレートに自分のことも話せると思う。まあ、それでも診断の是非とか色々複雑な対応にはなるんだろうけど、相手に不安を与えないようしっかり話してこよう。

行ってきます。

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