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メールと余白と。

新人教育の一貫で、メールの添削をしている。

添削はむずかしい。
いちから作り直そうかと思うメールもあるが
その人の表現の色は残したい。


さじ加減にいつもアタマを悩ませる。


最近、添削レベルの向上のために
僕が添削したメールを
さらにチェックしてもらうことになった。


このような流れである。

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メール作成者 → 1次チェック(僕) → 2次チェック(上司)
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指摘内容は多岐にわたる。

・表現をもっと平易に
・助詞が連続している
・時期感は明確に
・お詫びを繰り返さない


さまざまなフィードバックをもらいながら
添削されるメール内容は
劇的に見やすくなっている。


指摘されることに落ち込むこともあれば
ムダを削ぎ落とすことで、
ここまで分かりやすくなるものかと
関心することもある。


毎回、脳みそが焼けるような作業だが
とても勉強になっている。


・・・が、添削を繰り返していくうちに
僕のアタマは


「お客様に分かりやすく伝える」から


「いかに指摘されないか」に
思考がズレてきている。



これは僕の悪いクセだ。


そのため、過去の指摘内容を見ながら
添削者が気にいりそうな表現に
寄せている自分がいる。



「ダメじゃん」と思いながら葛藤している。


葛藤しているうちに、添削の
作業時間が伸びている。

他の業務の割合を圧迫し
だんだん余裕がなくなってくる。


メールなんかもうイヤだ、と
投げ出したくなりそうな一方で
自由に文章を書きたいなー
という気持ちも湧く。


しかし気持ちに余裕がない。
(僕はなに言ってるのだろう…)





最近の自分には「余白」がない。



理由はなんとなく分かる。
けど向き合うエネルギーもない。




僕の住む地域に梅雨がやってきた。

最近はよく雨が降る。



雨の音は好きだ。
余計なことを考えなくて済む。



傘を持たずに歩くのが好きだ。



雨に濡れたら、少しは
流れ出すモノもあるだろうか。



メールのように、余計なモノを
削ぎ落としてくれるだろうか。



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