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風に流れる花

 景色うつろう、曇りの日に、忘れていた、春の兆しを、ふと目にする。まるい葉っぱの、マメ科の草の、茂るなか、皆で一緒に、誘い合わせて、小さな青い、花が咲く。

 春先の、周期的な、寒い日にも、めげずに健気に、皆で咲く。冷たい風に、洗われた、花の色彩、鮮やかに、日差しをあびて、明るいひとみを、空へと向ける。

 ふと忘れていた、雪のような、白い花も、つぼみふくらみ、咲いていく。雪原のひかり、花びらにひろげ、絹のように柔らかく、風にながれる。

 花が咲くことに、理由はない。生をつなぐために、と人は言う、もって生まれた、体と心を、生かすためにと。自らのもつ、必然のために、花は咲くのだと、人は言う。

 だが言いたい、この世のすべては、時の綾、色鮮やかに、世界の紋様を、彩るのは、ゆれる水面の、流れる透明の、ひかりの模様、ながれ去る、時というものの、偶然のあそびだと。

 人の目には、必然というインクが、よく映える。しかしその字は、偶然という、空白の紙に、描くもの。そしてその紙は、止まって定まることなき、時のながれ、流れ去る水に、字は書けない。

 インクのゆらめく、とけ去る色に、人はかたちを、思い浮かべ、それを自分の、世界と思い、必然の書を、想像しては、書かれた世界に、夢のように、生きていく。

 人が生きる、夢の源とは、必然なき、この世の偶然。ながれゆく時の、定まらぬがために、人は定常を、もとめて生きる、生のなかでは、ありえぬ定常の、ひかりの止まった、ひとつの絵を。

 花とはこの世の、時のたわむれ、幼き童心の、みつめるように、綾なす流れに、浮かんできえる、彩る偶然が、ことしもそっと、人知れずに、野草のあいまに、ひかりを灯す。

 必然に追われ、ふと忘れていた、花に気づくと、生きているのであれば、この世は楽しむものと、そう思う、心と体の、許すかぎりで、楽しむものと。

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