「将来の夢は?」という質問を受け続けることで、育てていった自らの呪い
「将来の夢は?」
大人は子どもに、何の気なくそう尋ねる。私だって姪っ子に、そうしたことを聞いたことがあったかもしれない……いや、なかったかも。と、聞く側はそれくらい無意識なものだ。それは「今、何年生?」「好きな食べ物は?」と同じくらいに、子どもに向けたありがちな質問なのだし。
ただ問われる側だった頃の記憶を思い返してみると、そこで大人の望むような回答……つまり具体的な、わかりやすい職業名を挙げることに対して、小さな居心地の悪さが確かにあったのだよな。
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私がそうした質問の回答にしていたのは「絵描きさん」。もちろん、絵を描く時間が好きだったからそう答えていたのだけれど、本当に、心から絵描きになりたいのか? と自問すると、それほどの情熱はなかったんじゃないかと思う。寝食を忘れて熱中し、絵の世界に入り込んでいく子もいるけれど、私はそうした性質の子どもではなかった。
でも、過ごしやすい日は庭に椅子を引っ張り出し、しばらく外で草花の絵を描くのが好きだった。ただそこで重要なのは、草花の色や形、絵の表情──と同等かそれ以上に、そこで自分が使っているスケッチブックや画材、椅子のデザイン、着ているワンピースやエプロン、頭上で鳴いている鳥の声であった。いつもそうした周辺要素に気が向いてしまい、画面に対する集中力がいまひとつ弱かったのだ。そして、1,2時間すれば蚊や蟻との攻防に疲れてしまい、切り上げて部屋に戻る。そうしてスケッチブックには未完成の草花の絵が並んだ。
ただ絵に対する集中力は弱くとも、私は創造欲に満ちた子どもだった。いつも不完全燃焼で、自分の欲を最大限に昇華させられる機会はどこにあるのだろう? と、気持ちを持て余していた。
そうした欲を昇華させられる職業として「絵描きさん」が最適解なのかはわからなかったけれど、重なる部分もなくはない。だから将来の夢を問われればとりあえず「絵描きさん」と答えていたし、そうしたことを言い続けるうちに、周囲の大人たちも「絵が好きな子」として私を認識してくれるようになった。修学旅行やピアノの発表会などの冊子の表紙に絵を頼んでもらえることも多く、そうした機会は「絵描きさん」の夢が近づいたようで、純粋に嬉しかった。
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もしそのまま、努力を続けていたら絵を描く仕事への道が拓けたのかもしれない……が、そうした道は選ばず、その後二転三転して、今は文を書く仕事に就いている。
芸術や暮らしのこと、社会のこと……身の回りに散らばったネタをエッセイのような形にしていく。そうした仕事自体は気に入ってはいるものの、そこに至るまでの経緯には、やや複雑な気持ちがあった。私は、幼い頃からの夢であった「絵描きさん」になれるほどの実力や根性がなかったから、そこを諦めて、こうして文章を書いているのだろうか? という、なんとなく薄暗い色のついた感情である。
いや、それでも堂々と「文筆家です」と胸を張って言える状況であればそうした感情も薄れるのかもしれない。が、私は明らかに文筆以外のことに時間を使いすぎている。
まず家事に割く時間が必要以上に多すぎるし、さらには友人の画家のために展覧会の運営業務に奔走したり、インテリアコーディネーター業に手を出してみたり、古琴の練習に時間を溶かしたり、YouTuberの真似事をしたりと、やっぱりなんというか、落ち着きがない。
「自分は信頼に値する人間だ」という自己評価は、高い壁が立ち現れたときに役に立つ。でも私は「絵描きさん」の夢を実現させるほどの努力をしなかったし、いい大人になった今も注意力散漫。なにか一つのことに集中できない、信頼に値しない人間である……といった自己卑下的な感情は、ずっと心の中に居場所を持ち続けていた。
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4月、友人である哲学者の谷川嘉浩さんが新書を出した。『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』というタイトルは一見、自己啓発書のように見えるが、彼は自己啓発書に擬態した哲学書を出す悪い趣味がある。今回はどのような攻め方をしているのだろうか……とこちらも悪い笑顔を浮かべつつ読み始めた。
しかしニヤニヤと読み進められたのは冒頭数ページほどで、その後すぐに机に移動し、逐一書き込みながら読み進めることになった。というのも、序章から「将来の夢は?」という問いの危うさが指摘されており、そこでは私がずっと「絵描きさん」と答えながらも小さな居心地の悪さを抱いていたことについて、過不足なく解説してくれていたからだ。
"「将来の夢」は、世間や周囲の人が「正解」だと信じていて、あなたに言ってほしいことの総体" になってしまいがちなのだと、谷川さんは指摘する。たとえば子どもが少しでも突飛なことを言えば「もっとまともな答えを」と呆れられることもあるし、それが嫌で逆に大人が納得しそうな答えを用意することもある。そうした浅い理解で「自分のやりたいこと」を何度も言葉にすることによって、自分が本来持っている偏愛を理解しないまま、世渡り上手なだけの人になってしまう……というご指摘である。
つまり、私の「絵描きさん」という答えは、大人に納得してもらえるための処世術的回答だった。さらに、そうした安直な言語化に私自身が縛られていたのである。
ここで出てくる「鳥が好き」という言葉。その中にも、さまざまな偏愛が含まれ得る。たとえば、鳥のさえずりを耳で聴くのが好きで、それを再現することが出来る……という人もいれば、色彩豊かな鳥を追いかけることに楽しみを見出し、会社を設立して野鳥観察ツアーを提供する人もいる。その両者の「鳥が好き」というのはまったくもって意味が異なり、結果として鳥との付き合い方……つまり夢の在り方も大きく変わってくるのだ(この事例は心理学者のトッド・ローズとオギー・オーガスの研究として同書の中で紹介されている)。
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そうした例に習って、あらためて、私が「絵」とその周辺に対して抱いていた喜びについて、言語化してみたい。
まず、小学校の美術の時間よりもずっと、一人で家で描くのが好きだった。学校では強いられることも、納得のいかない評価基準で比べられることもあるが、家では制限時間もテーマもなく、自由に描ける。このときの「好き」という感情の所在を振り返ると、「絵を描く」ことよりも「自由であること」にやや軍配が上がるように思う。
さらに、画材のデザインや自分の着ている服、そして鳥や虫の奏でる環境音までもが気になってしまう……という注意力散漫っぷりは、「絵を描くこと」に集中できていないとも取れるけれど、その一方で「美しい景観が好き」「美しい環境を構築したい」という私の強すぎる偏愛に結びつく。
さらに心情的な話をすれば、当時の私は背が低く、舌足らずで運動下手。子ども社会の中では相手にされないか、虐げられるばかりだった。その場で喧嘩するほどの勇気はなかったが、自分を慰める時間は必要不可欠だった。そうしたとき、植物はこちらを拒絶も攻撃もせず、ただそこで生きている。そうした静かな、けれども凛とした対象を愛でる時間は欠かせなかった。
……と、ここまでの言葉をまとめてみると、私が心から愛していたのは「ヒエラルキーから離脱した自由な状況」であり「美しい環境を構築すること」であり、「他者から攻撃されない一人の時間」であり「凛とした美しい対象と心を通わせること」であった。さらに、この社会がもっと美しさに溢れていたならば、それはどれほど素敵なことだろう! という夢を見ていた。けれども、その夢を叶えるためには私の力は到底足りない。だから不完全燃焼ながらも、夢をいっとき感じられる空間を庭にせっせとこしらえていたのだ。
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そう考えれば、家の設えを整え、美しい場所で展覧会を企画したり、インテリアの仕事を引き受けたりしながら、ときどき一人で静かな芸術についての文章を書く……というのは、まさに私の夢だ。My dream comes true!!! なのである。
インターネット上の文章のように、過去が編集できるのであれば、私は「将来の夢」に対して「絵描きさん」と答えていた部分を全て、「美しい世界を創ること」に一斉置換したいくらいだ。でもそうした修正をせずとも、私は無意識のうちに自分の熱狂に歩み寄り、自らの偏愛と手を取ることが出来ていた。こうした行動は、信頼に値する……のではなかろうか?
今の自分の捉え方によって、過去は鮮やかに変化するし、それは今の自分に自信をもたらす。
そうした新たな視点を与えてくれた本を書いた張本人は、幼少期に様々なゲームやアニメのキャラクター、レゴブロックなどをごちゃ混ぜに使って、自分だけのストーリーを作り出すことに興じていたらしい。なるほど、彼が哲学者という立場ながらも、哲学の話の中に突然漫画の登場人物を差し込んだり、私のようなよくわからん人間と好んで交流をしているのは、そういった「ごちゃ混ぜで遊ぶ」ということに対する偏愛故か……と思うと合点がいった。
(そんな谷川さんとは先月、このあたりの話をさんざん関西弁で喋り倒したのだけれど、そのアーカイブはまだ販売中です。突然の宣伝…!)
……と、ここで文章を終えておけば非常にスッキリとするのだが、谷川さんの文章はいつも、良い意味でスッキリしない。彼はまず、SNSと偏愛の相性の悪さについても指摘しており、そうした指摘はこのnoteの文章にもそのまま当てはまる。
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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。