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置かれた場所で咲くしかない時もあるんやわ

「あれ?少ないですね……」

不妊治療クリニックで内診を受けている途中、医者が不穏な空気を出した。

昨年の初夏から高度不妊治療に取り組んでいるけれど、1度目の採卵は全て受精せず失敗。2度目の採卵で受精卵(胚盤胞)が出来て、4度移植するも度重なる化学流産により胎嚢確認には至らず。

採卵と移植だけではなく、検査、手術、服薬……と大小さまざまなイベントが発生し、その全てがお金、時間、健康を削ってくるのでもう疲れたドンという気持ちもあるのだけれど、移植6回目までは保険でカバーされていることもあり、せめてあと2回は挑戦してみよう、それがダメならば人生設計を全て軌道修正しよう、という希望と観念を併せ持ちつつ通院している。

そして、今月3度目の採卵をする予定だったが、それが先日の内診の結果延期になってしまった……というのが今である。

そもそも、人によって1度の採卵で採れる卵の数、というのはかなり個人差がある。1つ取れれば御の字、という人もいれば、何十個と採れる人もいる。幸いにも私は後者だったようで、1度目の採卵では14個、2度目の採卵ではなんと36個もの卵子が採れたのだった(これだけ多いと、卵巣過剰刺激症候群というもののリスクも高まるのだけれど)。

しかし、今周期の身体は少々様子が違った。いつもは沢山控えている卵胞の姿が見えない。ゼロではないが、限りなく少ない。AMH(血液検査でわかる、卵子の残数のようなもの)の数値が極端に下がった訳ではないので、イレギュラーな珍事なのかも? ということで、もともと9月に予定していた採卵は次の周期に延期。これで色んな計画が狂ってしまった。

というのも、採卵が終わって身体が落ち着いた頃、2週間ほど欧州に行こうと計画を立てていたのだ。長引く治療で私がずっと引きこもりがちで、どうしても精神が落ち込んでいくので、それを見かねた夫が提案してくれたものでもある。デンマークに住むAllaとVitのところに世話になりつつ、取材も兼ねてあちこち訪ねてみよう……と様々な人にアポを取り、旅程を組み立てていた。が、その期間と採卵の準備期間が被るので、旅程は全てキャンセル。

「すみません、やっぱり行けなくなってしまって……」と各所に連絡しつつ「残念。でもまた来てね!」と言われる度に「また」が一体いつになるのやら、と少し落ち込む。採卵をさらに後ろ倒しすることは難しい(理由はややこしいので後述)。採卵とヨーロッパ、どっちを諦めるか? と二択になったらそれはまぁヨーロッパである。

が、仮に採卵が予定通りに出来ていたとしても、遠方への取材旅行……というのは私の今の身体ではかなり無茶な挑戦だったのかもしれない。

というのも、今年8月に2度目のコロナに疾患してしまい、それ自体は1週間ほどで治ったのだけれど、今は後遺症がしぶとく残っているのである。昨年も後遺症は残ったが、そのときよりもずっと重い。

毎朝起きると喉が痛く、痰が絡み、少し家事をすると息も絶え絶えになり動けない……という体たらく。調べてみたら、この動画に出てくる女性と症状がほぼ一致する。私も毎日鼻うがいをしているけれど、なかなか症状は改善されず……。

とはいえ症状には波があり、それなりに動ける期間もあった。ただそれでも、1時間ほどZoomなどで話していると、その後は体の細胞すべてが重力に引っ張られるような倦怠感に襲われてしまって爆睡。知らんまに、この星の重力設定変更しました??? という感じなのだ。そうしたコロナ後遺症がもう2年も続いている……という人もいるようで、暗澹とした気持ちになってしまう。

が、希望もある。耳鼻科などで出来る「Bスポット療法」が、こうした後遺症の改善に繋がるというのだ。ということで、昨日は近所の耳鼻科で「コロナ後遺症なのですが……」と申告しつつBスポット療法をやってもらった。薬剤を塗布した長〜〜〜〜い綿棒を鼻から、届く限りの喉の奥まで突っ込まれるのだが、

いやあああああああ死ぬああああああああああうううううううう(涙)(嗚咽)(鼻からも涙)


という程度には痛い。Bスポット療法ではなく、Bスポット拷問への改名をしたほうが適切なのではなかろうか。喉の奥まで棒を突っ込まれるだけでも痛いのに、炎症を起こしている上咽頭に薬剤をグリグリグリと塗布されるのがまた激痛で、泣きたい訳でもないのに涙がダバダバ。顔面パニック。

Bスポット療法そのものはすぐ終わったが、あまりの衝撃的な痛さに全身に力が入らなくなり、ヨレヨレと案内された次の席に移動するも、涙と鼻水の蛇口がぶっ壊れたように全ての水が止まらない。

その後お会計を済ませ、処方箋をもらったが、薬局に辿り着くまでも顔からの水が止まらない。ハンカチは持っていたがそれではまったく間に合わぬのでドラッグストアに駆け込み、ティッシュ箱買い。

勢い余って高級ティッシュ買っちゃったよ

その後、なんとか辿り着いた調剤薬局で「あぁ〜……お大事に……」と優しく処方してもらいつつ、ボックスティッシュを小脇に抱えて帰宅。しかし、その後数時間経ってもずっと薬剤が染みて痛いのだ。痛すぎて熱まで出てくる始末。

さらに、Bスポットをされている途中、医者から「これを10回ほど繰り返せば良くなりますよ」と言われたことに絶望していた。10回て、どんな拷問や………。

──

しかし翌朝、喉の調子がかなり改善されているのがわかった。が、まだまだ倦怠感は大きい。さらにその翌朝、倦怠感もかなり改善されてきて、こうやって文章を書けている。ちなみにBスポットが痛かったとTwitterで嘆くと、回数を重ねるとマシになりますよ、という声がちらほら。いやー、せめてあと数回、頑張るか。やるしかない。生きていくためには……!

──


まぁそんな具合で、回復していく希望はある。が、明後日には不妊治療の方で、静脈麻酔下での検査が控えているのである。静脈麻酔というのは素晴らしい医療だが、それを打たれた後10日くらいは体調が悪くなるのが、非常に辛い(私の場合)。

コロナからの、後遺症からの、静脈麻酔……。あぁ、ヨーロッパなどは夢のまた夢。別で石川県に行く……という計画もあったのだけれど、それも非現実的である。月2で通っている都内の古琴教室すら、お休みをいただいてしまったり、レッスン途中で疲れてギブアップしてしまったり……という情けなさ。

現代の独立した女たちは「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を、呪いの言葉だと打ち破ろうとしているし、私もそうした側だった。大阪から東京へ、東京からニューヨークへ……と、置かれた場所を変えながら、自分を縛るものから逃げながら生きてきた。

が、長い人生のうちに、どうしたって置かれた場所から動けないときもあるのだ。20代の頃の自分が仕事や活動に注げていたエネルギーが100だとすると、今はほんの15くらい。行動範囲もうんと狭く、接する人もかなり少ない。

けれどもそうした中で、限られた気力と体力で、せめて出来ることを……と、食器棚から器をひっぱりだして、そののことなどを書いてみたりするのである(コロナ後遺症を治すには、とにかく無理をしてはいけないそうなので、疲れたら休みつつ書いていたら2週間もかかってしまったが……元気であれば2日で書けたようなものを……)。

「ていねいな暮らし」をことさら謳う人間というのは、情けない日々の中で、家からもほとんど出られない状況下にいることもあるのかもしれない。せめて眼の前の暮らしに誇りを持つことで、自分はまだ色を失わずに生きている……と叫びたいのかもしれない。少なくとも私はそうした側面が大きい。いや、今は片付ける体力不足で家の中も散らかっているのだけれど……。

しかし置かれた場所で、限られた体力で、小さな花であれ咲かせたい。そうした欲を杖のようにして、ちまちまと文章を書いているのである。



ここからはただ徒然とした心の内を。少々プライベートが過ぎることなので、限定公開にて失礼します。


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