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「わかりにくさ」を、どう伝えればいいのだろう



端的に自己紹介をするのが、得意ではない。

私の場合、初めて会う人に物書きですと自己紹介をすれば返ってくるのは決まって「どこの媒体で?」「どんな文章を?」「なにをテーマに?」のいずれかである。

ひとつめの質問には事実を答えればいいのだけれど、後ろ二つはなかなか端的に答えられない。「ひ、日々の暮らしの中で気づいたことを……」だとか、「えっと、アートも音楽も政治もなんでも、けれども感情論で……」だとか、なんともモゴモゴと答えてしまう。けれども、その後Facebookなりで繋がりができて、文章をいくつか読んでもらう機会があれば、そこでようやく自己紹介が完結する。

今は本を書いている真っ最中なのだけれども、そちらの本も、端的には説明しにくい。本来はある程度特定のテーマを取り上げて、それについて語るほうが届きやすいし、わかりやすいし、広まりやすいだろう。私であれば、ミニマルにはたらくワークスタイルであったり、ニューヨークでの暮らしであったり、あまりにも性格の異なる夫との生活であったり……。

しかし今回の本は、編集さんの意向もあり、おばんざいのように様々な話が織り交ぜられている。これは、とてもありがたい。というのも前回、大統領選について書いたとき、「異なる文化背景を持つ友人」が出来るような本は、とても貴重な体験だと書いたけれども、私も本を読んでくれる人にとって、思想の異なる友人になることが出来ればと願っているからだ。


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けれども、私が今23歳だったら、この本を選び取るのだろうか。


当時を思い返してみれば、本屋に行けば一番角の平積みビジネス書コーナーにまっしぐらで、ノウハウ本や、啓蒙書や、「30分でわかる!」的な知識のつまみ食いのような入門書ばかりを読んでいた。もっと昔は、エッセイや小説を楽しんでいたにも関わらず。社会人になった途端、どうにも余白のある物語の類はぼんやりと霞んでしまい、これっぽっちも魅力を感じられなくなったのだ。

思い返せば、中学3年、高校3年、そして大学の4年間と、勉強も部活もバイトもサークルも、なにごともたった数年で達成できるようにうまく設計されていた。半年経てば一人前、2年目にはもう主戦力。今日やるべきことが、来月の成果に直結していたので、成長を感じやすかった。

けれども大人になってしまうと、成果までの距離感がうんと遠くなってしまう。小さなIT企業に入社した私は、2年目になっても後輩が出来ず、なかなか上昇しない自分の立場と、とはいえ手に負えない仕事を前に、完全お手上げ状態だった。主戦力にはなれない日々に、「これじゃない感」でいっぱいになっていたのである。


これじゃないなら、どれなのか。

まずは仕組みがおかしいのではないだろうか?と考える。会社の評価システムが不適切なんじゃあなかろうか。もっと効率の良いキャリアパスがあるんじゃないか。

そして次に、自分が軽視されているのではないか? とも考える。若者向けの広告を作っているのに、若者当事者である自分が議事録役に徹していていいのだろうか。SNSの時代なのだから、もっと自由に、SNSネイティブにやらせたほうがいいんじゃなかろうか。

そうした不満で穴だらけの心の中に、若者に向けたビジネス書は麻薬のように効いたのだ。会社の仕組みをぶっ壊せ、自分には価値がある、時間を無駄にするな、成功するには○○をやめろ、だなんて言葉が力強く並んでいる。当時、1か月で使える自由なお金は数万円もなかったけれど、雀の涙ほどの所持金をビジネス書やセミナーに注ぎ込み、せっせと自己肯定感を買っていた。そこでスタンプラリーにハンコをおしていくように知識を増やし、あたかも「経験のある人」みたいな顔をしていると、少しは安心するのだった。


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わかりやすい言葉は、不満が溜まった人の心をつかみやすい。けれどもそうした情報に触れて、

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。