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自分の評価基準を、自分の中に取り戻す。2020年を振り返って


今年最後のnoteは、やっぱり大晦日になってしまいました。いつも月末、そして年末にお騒がせしています。「あぁ来た来た、重いやつ」と思われているかもしれませんが、いつもよりうんと気楽に書いたので、気軽に読んでいただければ嬉しいです。



心をちゃんと使った2020年


少し大股で振り返るのですが、2018年、2019年は私にとって、物を見る目を養った2年間だったなぁ、と。渡米して、苦手な英語相手に四苦八苦しているうちに、英語よりも先に美意識の筋肉がモリモリとついていったような。なので「目」はまだまだ2歳児です。


そして2020年はやっぱり、心をちゃんと使った1年でした。大疫病の中で、これまでは通用していた外側の、そして小手先の処世術がさっぱり使えないとわかり、人間のもっと根源的な幸せだとか、安心だとか、自分の存在意義だとか、そういうものって何なんだろう? と考えるほかなかった。ですから、心、まだ0歳児であります。今まで32年、一体何やってたんだ。

というのもやっぱり、仕事する上で、心ってちょっと邪魔なんですよね。自我はいらないというか、自我があるとまっすぐ進めないというか。


書くことは、あくまでもツールだった訳で


2,3年前くらいまでの私にとって「書くことと」いうのは、あくまでもツールで、宣伝したいことや、紹介したい人や物があって、それを広めるために文章を書いているところがありました。もともとPRや広報をやっていた訳なので、広告費をいただいた上で、「売れる」「結果が出る」という目標を達成することが最重要課題で、文章はそのための最短距離の道具、という認識だったんですよね。

その間に自我を練り込んでしまうと、「このライターはやかましい」とか「自己顕示欲が強い」とか叩かれてしまう訳で。基本的には、あくまでも伝えることに徹していたような気がします。そのほうが、スムーズに書けるし、広まるし。

(こういう記事、たぶんもう2度と書けないけど、これはこれで一所懸命に頑張っていたなぁ……という気持ち)


それがここ数年は、やっぱりフェミニズムの運動や、環境問題への関心が高まらざるを得ない中で、「売ること」よりも「価値観を伝えること」にシフトしていった気がします。

(かなりの反響をいただいた、プラスチックごみ問題などにまつわる記事。今読み返すと不勉強で恥ずかしいところもあるのですが、とにかくショック! という気持ちは、良くも悪くも届きやすいところがあるんだなぁと)



エシカルなコミュニティ作りと、疫病の中での葛藤


そして実は、今年の1〜2月あたりは、エシカルな消費をテーマにしたコミュニティを作るために、いろいろと動き始めていたんですね。まさにここで書いていた通り、科学者や専門家にしっかりと対価をお支払いしていくためにも、最初はクラウドファンディングで資金を集めつつ、スタートしていこうと思っていました。


けれどもあれよあれよという間に、ニューヨークはパンデミックに。世の中は阿鼻叫喚、次々とスモールビジネスを救済するためのクラウドファンディングなどが始まりました。

あちこちで、募金を求める声が響く中で、ひとまず食っていける私よりも、もっとお金を必要としている人が増えたのだから、いま私が、私にお金をくださいと言うべきなのだろうか……? と悩んでしまった訳です。

ポケットマネーで小さく始めればいいじゃないという話なのですが、仕事が全部吹き飛んだ夫のぶんも稼がなきゃならんので、とにかく金がない。(物価が高い!涙)お金がないと、心にも余裕がなくなりますね。

そして「プラスチックごみは減らしていきたいよね」と表で言いながらも、東京での隔離期間などはUber eatsに頼るしかない状況が続き、理想と現実の乖離に、心がかなり折れてしまって。

(この頃は、現実に向き合うことも辛くなり、ペンキを塗ったりノコギリで切ったり、狂ったように実家のDIYばかりやっていたなぁ。メンタルが落ちるときに、料理でも手芸でもなんでも、生産はいいぞといいますが、本当に生産はいいぞ)



アクティビストか、物書きか?

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。