タイトルや枠組みからはこぼれ落ちてしまうもの
なんて雑なんだろう!
アメリカに移住して真っ先に感じたことは、この一言に尽きる。ドン!ガコン!と荒々しく運ばれていく荷物たち。堅い地下鉄の椅子からは、車輪の激しい振動が骨の髄まで響いてくる。スーパーに行けば、あまりにも量を詰め込まれ、下の方は腐ってしまった袋入りジャガイモの山がそびえ立っている。間違ってイエローキャブに乗ってしまうとカーチェイスまがいの運転が始まるもんだから、シートベルトは締めろと言われなくとも自ら率先して締めている。
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本日は8月31日。8月最後のnoteは、ニュージャージーにある新居から書いている。昨日、引越し業者さん3名、古くからの友人2名に手伝ってもらい、7人がかりで荷物を詰めたり包んだり運んだり、そしてイーストリバーとハドソン川を渡り、ブルックリンからニュージャージーに家具たちを移動させてきた。器や古い家具を好む私と、3Dプリンタや楽器や機材を沢山持っている夫なので、物が多い上に重くて脆くてややこしい。
そこで引っ越し業者さんは、日本人経営の会社に頼んだ。アメリカ社会に溶け込みたい! と、基本的には現地のサービスを積極的に使っているのだけれども、引っ越しと美容室だけは別の話で、相手が日本人だと安心してしまう。想像通り、傷一つ付けずにテキパキと運んでくれたので、州境を跨いだ近距離引っ越しは実にスムーズに終了した。
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アメリカで数ヶ月過ごした後、成田や羽田に降り立つと、そこかしこが絹に包まれた様なたおやかさを帯びていることに、いたく感心してしまう。
レジ打ちの人たちは大切そうに、コトン…と商品を置いてくれるし、電車の椅子はフカフカでお尻に優しい。黒塗りクラウンのタクシーを止めれば、後部座席には真っ白なレースがあしらわれている。背広を着た運転手は上質なポケットティッシュを手渡しながら、「シートベルトをお締めくださいませ」だなんて言ってくるけれど、それは「今からカーチェイスを始めるから注意しな!」という合図では、もちろんない。
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「古い日本は、妖精の棲む小さくてかわいらしい不思議の国であった」
明治時代、38年間日本に滞在したイギリスの日本学者であるバジル・ホール・チェンバレンは、彼の見た「古い日本」への哀愁を込めて、こんな言葉を残している。
妖精とは一体何なのか。その姿かたちには諸説あるし、ポジティブな存在というだけでもないのだけれども、人間には聞き取れないような小声でささやき、大きな音を立てず、なんなら物理的な衝撃を伴わずに物を動かしそうなイメージはいかにも共通するところじゃなかろうか。
もちろん氏の言葉は、西洋社会では見慣れぬ木や土や紙で出来た小さな家の中で、慎ましく暮らしている小さな日本人の様子を描写したものであり、今になっては、その多くは失われてしまっている。
けれども、耳を澄ませなければ聞き取れないほどの小さな声でヒソヒソと話し、そっとものを動かす多くの日本人のその所作は、見慣れぬ土地の者からは未だに「妖精寄り」の存在に見えてしまいそうな気さえする。
事実、ほんのすこし異国に身をおいた日本人の私ですら、帰国すると母国のあまりのかわいらしさや、繊細さに感嘆してしまうのだから。
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近ごろ、少し悩ましいことがある。
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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。