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不妊治療、予定の組めない移植周期


「来月は50%の確率で仕事を受けられるかもしれないし、受けられないかもしれません。その如何は、来月にならないとわかりません」

仕事を発注しようか、という段階でそんな答え方をしてしまうと、「では今回はご縁がなかった、ということで……」となるのが目に見えている。プロジェクトを複数人で進めていく上で、とくに制作陣のスケジュールは何ヶ月先であれ絶対に確保しておけと社会人1年目にしつこく教えられたものだ。でも社会人生活12年目の今、私は自らのスケジュール管理すらお手上げ状態。その原因は無論、目下取り組んでいる不妊治療にある。


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以下、個人の不妊治療体験談です。いち患者である私の主観で書いたものであるため、正確な知識を得るためではなく、数多ある中のひとつのレビュー、程度に受け取っていただければ幸いです。また、文章内に誤った表現などがあればお伝えいただけましたら有り難いです。


今年の8月、不妊治療の仔細を綴ったnoteを公開した。そのnoteでは激痛に耐えながら14個の採卵に成功するも、その全てが受精失敗……というところで話が終わっていたのだけれど、幸いなことに今はそこから少し進んだところにいる。


どうやら、私が経験した14個もの採卵を局所麻酔で行う……という行為はかなり患者側の負担が重かったらしく、「それは痛かったでしょう」「え、そんな病院あるの?」といった声が沢山届いた。また、他の婦人科医にその話をすると、「静脈麻酔を打ったほうが、医者としてもやりやすいんですけどねぇ。痛いと暴れてしまうでしょう」とも。

寄せていただいた声を読んでいると、保険適用内でも静脈麻酔で採卵をしてくれるクリニックは多数あったらしい。なにもかもが初心者で知らないことだらけで、クリニック側が無理と言うのであれば無理なものだと思いこんでいた。もちろん局所・静脈麻酔共に長所や短所、向き不向きがあるようだけれど、あの拷問級の痛みにもう一度挑む勇気が出ない……という思いから私は静脈麻酔を打ってくれることを条件の一つにしつつ、転院先を探した。そして恵比寿のクリニックに決めたのが9月。妊活を始めたいと最初の医師に相談してから、三度目の転院だった。


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新しい主治医は、これまでの資料などを参考にしつつ採卵方法を微調整してくれた。とはいえ、前回とやることは概ね一緒。まずは中容量ピルを飲んで生理周期を調整し(副作用がちょっとしんどい)、採卵前は毎晩の自己注射などで卵を育て(お腹がどんどん腫れていく)、頻繁な通院を繰り返す。採卵周期は、とにかくこまめに通院、採血、通院、採血。満員電車に揺られて日々通院していると、恵比寿のオフィスに勤めていた会社員時代に時間が戻ったようにも感じた。

採卵日はその2,3日前にならないと決まらないけれど、いざXデーが決まったら、新鮮な精子を持って絶対その日の朝イチでクリニックに行かなきゃいけない。絶対に仕事が被らないように、「だいたいこのあたりかな……」という予定日と前後3日くらいは重要な予定を入れないようにブロックしておいた。

しかし、研究職の夫は学会や出張が多い時期だった。フリーランスの私のアポはいかようにでも動かせたのだけれど、夫が参加する学会の日程を動かすことはもちろん出来ない。幸い海外出張はなかったので、「この日が採卵になっても、朝検体を出してから新幹線に乗れば大阪での学会にギリ間に合うよね」「この日になった場合は、最終の新幹線で帰ってきて……」とあらゆるパターンを想定して二人で備えた。ただこれ、我々の職業が逆だったら割りと詰んでいたな、とも思う(最悪、精子を凍結するという手段もなくはないが、保険適用外になるので莫大な金が……)。

そしていよいよ人生二度目の採卵日がやってきた。いつも通りクリニックに行き、手術着に着替えて時を待つ。しかし今回は静脈麻酔。手術台に移動し、点滴で麻酔が入るやいなやサ───ッと意識は消えて、夢すらもない無の中。その意識の消え方は、死ぬ時のそれに似ているらしい……と嘘かホンマかわからんような話をSNSで見たが、とにかくそれは無であった。


何分なのか何時間なのかも判断がつかない無の中「……終わりましたよ〜」という声がした。「え?」と思いながら目を開くと、光が眩しい。言われるがままに手術台を降りてカーテンで仕切られた簡易ベッドに戻り、私服に着替えて、待合室に戻る。「あれ、もう終わったの……」と思いながらボケーと待っていると診察番号を呼ばれ、主治医から「36個採卵できました!」と言われて目が覚めた。た、大漁旗を振り回したくなる程の大豊作やないか!

しかしどれだけの豊作であれ、それが受精できなければ振り出しに戻る。前回が全滅だったので期待しないでおこう……と思っていたけれど、結果6個の胚盤胞が凍結に至った。ありがとうございます……と心からの感謝を述べながら、大いなる前進に安堵した。

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それにしても、こんなに差が顕著に出るとは。前回は激痛、今回はほぼ無痛。前回は0、今回は6。どちらも保険適用内の施術であるにも関わらず、あまりの差に衝撃を受けていた私に、「後医は名医、という言葉がありますから」と主治医は言った。後から診る医者ほど、これまでの情報があるので良い施術がしやすい……という意味らしいけれど、いずれにせよ主治医の細やかな微調整や、培養士の方の仕事が良い結果を招いたことには違いない。何度もお礼を述べて診療室を出た。

クリニックは恵比寿駅前の、でかいオフィスビルの8階に入居している。この無機質なビルの中の冷凍庫で、我らの胚盤胞が凍結され出番を待っているのだ。これまではただの治療場所だと思っていたここが、途端に託児所のような場所に思えてならなかった。巨大なビルを仰ぎ見ながら「いつか必ず迎えに来るので……」と、親心なのか何なのかわからない気持ちが芽生えた。

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そして次のステップは移植。

移植周期は、採卵周期ほどは通院数も多くないし、自己注射なども打たなくていい。けれども今度は、仕事のスケジュール調整がネックになってくる。移植をするというのは即ち、そのしばらく後には妊婦になっている可能性があるということ。

高度不妊治療仲間で先に着床できた友人からは、胚盤胞移植から20日後ほど、つまり妊娠5週目あたりから、悪阻がひどくてなにも出来ない……という声を聞いていた。人によって悪阻には大きな差があるらしいけど、私がピンピンしながら妊娠初期を過ごしている、というのもあまり想像できない。もしうまく着床できれば、来月は吐き続けているのかも……と思うと、責任のある仕事は引き受けづらくなる。しかし私は子宮内膜症や子宮筋腫を持っているので、早くしなければそれらが育ってしまうリスクがある。いくら凍結しているからって、移植時期を先延ばしにし続ける訳にもいかない。


善は急げということで、私の1回目の移植日は12月10日に決まった。移植そのものは局所麻酔すらなく、驚くほどにすんなり終了。帰宅後も普通に過ごすことが出来た。いや普通に……というか、その日はかなり集中して深夜まで執筆を進めた。というのも担当編集さんから、春に新刊を出しましょうとスケジュールを伝えられていたので、そのためには12月、かなり根を詰めて頑張らなきゃ間に合わない。もし20日後から悪阻が始まってしまうのであれば、今のうちに出来る限り原稿を進めなければ……と焦っていたのだ。

次の日も、その翌日も、机にへばりついて原稿を進めながら、時折「これ、今働きすぎてることが身体に悪かったらどないしよ……」という不安がよぎる。同時に、「いや、この原稿が入稿できて印税が入ったら出産費用も安心……」という気持ちもあり、ほな頑張らなあかんなと気張るのである。


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そして移植から5日程経った頃。身体に異変が現れた。電車に乗るだけでひどく酔ってしまい、さらに吹き出物や口内炎が多発して、気持ちも落ち着かない。これはもしかして……と焦る気持ちを抑えきれず妊娠検査薬のドゥーテストでフライング検査をしたのだけれど、結果は陰性。6日目も陰性。7日目も、体調が悪いにも関わらず陰性。「う〜〜ん、これは飲酒NG、生牡蠣NG……という今の状況がストレスなだけか?」 とモヤモヤした気持ちを抱えていたら、8日目にしてうっすらと陽性の線が見えた。まさか、妊娠しているかもしれない。そして体調が悪く数日間原稿を進められなかったこともあり、「すみません、入稿スケジュール、かなり厳しいかもしれません……」と編集さんに連絡をする。印刷や他の本との兼ね合いがあることはわかってはいるのだけれど……。


しかし、その線はあまりにも薄い。Twitterで「BT8 検査薬」などで検索すると、不妊治療アカウントの方々の検査薬写真が出てくるのだけれど、陽性が出ている人たちの線に比べると明らかに薄い。けれども、もし妊娠していたら、次に必要なのは産科の情報だ。「無痛分娩を希望する場合、どの病院も激戦だからすぐに予約しなきゃ枠がなくなるよ」と先人たちから聞いていたので、夫と一緒に都内の病院を調べ始めた。しかし都内の無痛分娩……となると費用はかなり高額で、「既に不妊治療でこれだけ払ってるのに……」と愕然。

そうしているうちに、移植から10日目。いよいよ判定日がやって来た。クリニックでまずは採血、その数十分後には結果が出る。受験生だったあの頃の、合格発表の掲示板を見るまでの待機時間を思い出しながら、診察番号が呼ばれるのを待った。最初の2ケタが呼ばれただけで立ち上がり、診察室に向かった。

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。