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映画『燃ゆる女の肖像』 あの歌はなんだろう


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こんちには、Cinq_on_fireです。


今回の記事は、『燃ゆる女の肖像』におけるスコア(音楽)

焦点を絞ってみたいと思います。


……と言っても雑誌『ELLE』に掲載されていた考察記事がとても興味深くて


それをシェアしたかっただけなのですが、


なんだか、InstagramにはURLが貼れない仕様(ハイパーリンク不可)になっているみたいなので


『ELLE』の記事をシェアしたいがためだけに


noteで投稿を作成してみました。


だけど書いている間になんだか熱くなってきて


つい感想とかも書いちゃったので、


観賞後の自分の感覚? を大事にしたいという方にはお勧めできません。


※鑑賞済みの方を対象に書いているので、盛大なネタバレも含みます


ご了承いただける方のみスクロールしてください〜!



前回の投稿で、本作品で特に印象に残る要素の一つとしてp.28 をピックアップしたのですが、



それ以上に(?) 残って頭から離れないもの


それはあの歌



 シアマ監督もインタビューにて語っていましたが、ラブストーリーには必須とされているBGMを本作品ではあえて使用しなかった、


これは挑戦だったとのこと。


でも映画における音楽の力そのものは信じているため、

本作品でも音楽と作中でのメッセージを強く結びつける演出にしていると語っていました。



このように

ラブストーリーでは必須と言えるようなBGMをあえて使用せず、

作中の音楽を極端に絞っている理由について監督は

『燃ゆる女の肖像』公式サイトのインタビューでこのように答えています。


 夜の焚火のシーンで、集まった女性たちが合唱する歌曲「LaJeune Fille en Feu」。18世紀にふさわしい曲を探したが、求めるものが見つからず、『水の中のつぼみ』や『トムボーイ』も手がけたエレクトロニックミュージックのプロデューサー、パラ・ワンを中心にオリジナルで作られた。一度聴けば耳に残る、非常に印象深い歌詞は、シアマ監督がニーチェの詩から引用した歌詞を、ラテン語で書き起こした。(中略)「脚本を書いている時から、音楽なしで作ることを考えていました。基本的には、当時を忠実に再現したかったからです。彼女たちの人生において、音楽は求めながらも遠い存在でしたし、その感覚を観客にも共有してほしかった」

『燃ゆる女の肖像』公式サイトから引用


 ……たしかに、作中では音楽は2曲しか登場せず、


しかもその音楽が流れる場面は合計で3シーンのみ。


英語版のBlu-ray収録コンテンツのインタビューでも

本作品には、登場人物が実際に聞いている音楽以外は登場しない

Blu-ray『燃ゆる女の肖像画』から一部引用


と語られていました。


作中での音楽が非常に重要な役割を担っているんだろうなと分かるほどに、


観賞後はあの2曲が耳に残って離れない。


では『燃ゆる女の肖像』と映画のタイトルにもなっている


焚き火を囲んで女性たちが声を合わせ上げるあの印象的な歌の内容は?


なんて言ってるのか? 歌詞は?

といったように、次から次へと疑問が湧き上がり、はてなマークによって埋め尽くされた私の頭に、ヒントを与えてくれた記事があったのでシェアしたくて…

noteの記事まで書いちゃった、


……のが今年の3月ぐらい。


ずっとこの記事は下書きで眠っていました。


(投稿のムラが凄くてごめんなさい)


それが『ELLE』で見つけた下記の記事。


(とても正直に言って、この映画にハマるまでは『ELLE』なんて手に取ることがあまりなかったのだけれど、この作品にハマってからというものの発売日にチェックするぐらいにはなりましたよ……ええ)



記事によると、あの歌はシアマ監督が、19世紀ドイツの哲学者ニーチェの一節から着想を得たフレーズをラテン語にしたものなんだとか。





それゆえに、言語のようにも聞こえたり ただ "音" のようにしか認識できなかったりと、歌なのか? 音なのか? という狭間を彷徨う様な複雑さを感じたのかと納得でした。



しかも、フレーズの意味をいったん知れば、またこの映画についての熟考の世界に入り込んでしまうような、そんな一節でした。


そんな一節を是非、下記の記事で。


(雑誌『ELLE』の回し者とかじゃないですよ!)



神話についても幅広く語られていて、非常に興味深い記事でした。


実はこの『ELLE』記事を見てから


ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んでみたんです。


じっくり読んだわけではないので見当違いな理解かも知れませんが、


ニーチェが本書で語る「超人」を


(各方面から怒られそうなぐらい)すごくざっくりと表現すると


"周りの目や意見を気にせず、己の好きという気持ちを貫き通せる人"


といったニュアンスでしょうか。


……エロイーズとマリアンヌにリンクする部分があるように感じます。


そして「炎」の意味は? という部分に関しての私の考察は


「炎」は上昇気流を作り出すため、


風によってものすごいスピードで舞い上がっていく。


ニーチェの引用されたフレーズと重ね合わせると


エロイーズのことを「超人」として指しているのかなと。


あまりにも上空へと舞い上がっていった超人は、

超人ではない者から厭われ、

地上からは小さく見え、そして忘れ去られてしまう。


そんな色んなメッセージをエロイーズと、

歴史から消された女性画家にもリンクさせているのかも知れない、と

思ったりしました。


何度か読まないと自分の中で消化できないほど


深く素晴らしい考察と歴史的側面からも非常に学びの多い記事に出会ってから観る作品では、また新たな側面をチラッと覗けたような。



焚き火を囲んで女性たちによって徐々に歌い上げられる場面は、

映画館で鑑賞すると

その歌の持つ力、どこまでも上昇していくかのような共鳴に近い歌声。

次々に加わる女性たちの異なる声質。


何か大きなものに暖かく包み込まれるようで、

楽器を使用していないとは思えない程の迫力。


その声の力強さ。


それは、まさに歴史から消され続けられ、声をかき消されてきた数々の女性たちの叫びにも近い 力強い声。


それらが一つに合わさり、一つの歌を作り上げ、現代にまで届けられたような感覚さえ抱かせるものでした。



この歌を聴くと、心情の高まりと

ぐわー! っと心の奥底から込み上がってくる何かを感じる。


焚き火を境に 火の粉が舞うなか


エロイーズが垣間見せる笑顔。


今まで覆い隠していた仮面が剥がれ落ち、真のエロイーズが現れる瞬間。


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なお舞い続ける火の粉


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エロイーズに笑い返すが、真剣な顔つきへと変化するマリアンヌの表情


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画家でない 一人の人間としての「眼差し」


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2人の運命を象徴しているかのような、轟々と燃え盛る炎


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炎が己に移り 燃え上がって焼き尽くされてしまうことは明白なのに、

それを認識してもなお消そうとすらしない。


むしろ燃え上がる様子を好奇心に満ちた様な


純粋な眼差でただ傍観するエロイーズ


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現実世界の制限の全てを燃え尽くさんばかりの炎。


…と、なんだか私の感想と感情も燃え上がってきちゃったので


この辺で終わります。


あ、最後に、「ミューズ」について書かれたこちらの『ELLE』の記事も貼っておきますね。



『ELLE』の記事がどれも良くて、

今まで知らなかったことや、興味すら持っていなかったことについて

考えさせられることも多く、考察の深みにハマっていきます。


セリーヌ・シアマ監督をはじめ、

本作品でエロイーズを演じたアデル・エネル、

マリアンヌを演じたノエミ・メルラン。


この素晴らしい作品や、魅力的な人たちを知れたことにに感謝です。


では、アボワール! (フランス語で、さようなら)

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