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‘仕事のための仕事’とは分かりやすく言い換えると、‘時間を潰すための作業’の事を指します。
大組織や公的な団体系列、或いは待ち営業に特化した会社には暇が存在する事を徹底的に拒絶しなければならない理由づくりとして‘仕事のための仕事’を正当化しています。
見方によっては日本特有の‘優しさ’なのかもしれません。
勤めている人全員が創造性に興味がある訳ではなく、ルーティンワークが壊れる事に恐怖を感じる性格の人もかなりの割合なのだと推測されます。

私が‘仕事のための仕事’に違和感を覚えるのは前述と反比例するようですが、無くても困らない有っても面倒なタイプに類するであろう案件というべきか、事象が正しいのか、合理的ではないと衆目一致しながら維持させなければならないとごく一部の意向から巻き込まれる事案が地方では非常に多く感じることに起因します。

組織論という範疇では結果、ビジネスマターが必ず介在していくので何にせよ、誰かが誰かの時間を搾取する構図となるのです。
そうした時に反対や抗う姿勢を徹頭徹尾貫けるかがまたその人の性質を物語るものでもあります。とは言え、そんなに強い人間ばかりではなく、慣習や多勢に無勢で従わざるを得ない状態に収まることで自己矛盾から抜け出せなくなるのです。
この‘仕事のための仕事’とは思考停止においてのみ成立するものだと覚ります。

若い頃を思い起こすと、ある希望や夢を抱いて上京し、様々な苦悩や喧々諤々とした対人関係や矢継ぎ早に起こる経験の舞台を踏み続ける息つく暇のない毎日でした。‘仕事のための仕事’が降りかかる時、自分の居場所は無いものだという感覚だけは備わっていた気がします。

現在、人工頭脳であるAIが効率性を発揮するに多種多様な媒体で、その能力をいかんなく発揮している環境下にあります。
まさにハイテクノロジーが凡そ‘仕事のための仕事’を駆逐してしまうのは明白で、これは少子化社会を維持する為のインフラ整備の一環でもあります。
若い人材は頭脳労働へシフトしていく方向性への示唆とも考えて良いでしょう。

そうした折での従来型企業組織体における、昔ほど露骨に窓際族なる呼び方で閑職に追いやる事は無いにせよ、資料整理的な部署や地方支店についての存在意義と、在るだけで良しとされた時代から、在ることにどれだけの価値があるのかを当事者自身が創意工夫して訴求力のもてる存在でなければ、自ずとハイテクノロジーの前では塵と化してしまうという事に気付く必要があります。

あなたの得意は何ですか?

これに答えられるか否かが生命線だと思います。

【インフォメーション】
http://magone-film.com/

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