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映画『リング・ワンダリング』下関特別上映後記

3/26,27 映画『リング・ワンダリング』を私の現在拠点である下関で金子雅和監督、俳優の細井学さんにお越しいただき、場所はショッピングモール内にある旧映画館を借りて、凡そ2年2ヶ月ぶりの映画上映イベント、cinepos主催による下関特別上映として滞りなく終えることができました。
まずはこの場をお借りして、関係諸氏、お越しいただいた皆さま、応援くださった方々に心より感謝申し上げます。

未だに欧米とはスタンスを異にするウイルス取り扱いの遅れた認識から、継続的に矢面に立たされた飲食業、次にエンタメ関連事業と行動抑制の弊害は当然経済に直結し、映画媒体については文化交流やその発展、強いて言えば無関心に繋がりかねない疲弊された状況を作り出してしまったと捉えています。

そうした粘着性のある概念がどれだけ払拭されるか、この町に何らか突破口を見出だしたい断然とした決意を秘めて、本上映イベントに臨みました。

結果的にはかつて催していたシネマクロールでの一興業に該当する平均的アベレージである205名の皆さまにご参集いただけました。
これは独立系映画興業として、先程述べた側面を加味しても実質善戦した数字なのだと考えます。いろいろな意味で次に繋がる経験則を得られる事ができたのは大きかったと思う次第です。

もともと映画文化における表現の源泉に人々の感情に訴える、感情を引き出す意図があります。あるテーマに基づく共感性の誘発です。例えば‘愛’‘社会的問題意識の共有’‘イマジネーションへの共感’等ジャンルも含めて様々な思想性も相まって、多様性に溢れています。もし一つの絶対的見解の前に自己完結で一生を過ごす意義があるならば、映画という
ジャンルはこの世に存在していないでしょう。本当の意味での多様性とは可能性を寛容する力を意味するのではないかと思うのです。損得に左右されない幅広い知識を求める大切さもその為に必要な事でしょう。
理不尽さを解析して、普遍の摂理を考える時間も時にもつべきだとも思います。

映画を題材に思い思いの丈を語り合い、哲学にまで昇華していくこともあるのです。
パリのカフェテラスでは詩人や現代作家たちのサロンの場としてお互いの意見を交換し合う光景が1950年代以降、普通に存在していました。

とどのつまり、コミュニケーションを警戒心無しに普通に復活させなければ、映画に限らず本当に文化は廃れてしまいます。
このタイミングで映画『リング・ワンダリング』を上映できたのは大変意義深い出来事だったのです。
間違いなく、鑑賞された方は何かを持ち帰り、誰かに何かを語ろうと、語りたくなると思われます。

今回の特別上映は、思い新たに目標をまた持つことができた貴重な機会だったのかもしれないと、今静かな感動が再び押し寄せてきます。

上映はまだまだ続いていきます。
最寄りの映画館、もしくは旅行がてらミニシアター探訪も良いかもしれません🍀

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