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文章について、よくこういう例えが云われます。
‘難しい事を分かりやすく伝えられる人が素晴らしい、頭の良い人である’
私はこの見解はある意味では正しいと言えますが、あくまでも判断基準は文章そのものに読みごたえが有るか否か、そのスタンスに立ちます。
そもそも難しい事のジャンルとしては、‘思想・哲学’‘経済・経営’等ジャンル系専門理論書が列挙されるでしょう。
1980年代、マンガで解る云々というスタイルが流行りその類いで多くの書籍がセールス的に成功しました。さらには現在でも踏襲された方法としては、原書を現在の口語表現に置き換えるスタイルです。代表的には人気作家・橋本治氏による有名古典の口語訳表現です。橋本治氏は代表作‘桃尻娘’等ライト感覚に見立てた若者の現代風俗、そうした有り様を鋭く面白く表してきた第一人者でした。その橋本氏による古典文学の口語表現は大きな話題となりました。

共通概念は‘分かりやすさ’です。
分かりやすく伝えることが一番良い事である、という論理性が何事にも勝るという考え方がベースにあります。
昨今この分かりやすさこそが、曲者ではないかとするのが、私のテーマであり、冒頭に記した読みごたえにも当てはまります。

確かに何の媒体にせよ入り口の敷居を低くする事で興味をもってもらうという狙いは、別に否定するものではありません。
私は一つの戦略性における‘分かりやすさビジネス’が昨今行き過ぎてはいないだろうかという疑問があります。
これはきっかけを様々目にし手に取り、瞬間的興味には惹かれるもののそれ止まりに終始してはいないかとする見方でもあります。

多分に流通過程に乗る時点で、当然一定のクオリティは担保されているので、別にそこまで考えなくてもいいだろうと、そんな声も聞こえてきそうですが、忙しい現代人にとっての知的教養を合理的に吸収するツールである‘分かりやすさビジネス’の功罪は私は確かに有るのではないかと思う一つが、結果深く考えないように仕向けられている、各種そうしたコンテンツから感じる軽薄な完結パッケージです。そして濫造(らんぞう)に繋げていくのです。

文章については読みごたえを求めるか内容を直ぐに分かろうとするかで、読む側のスタンスが分かります。先程来からの時代性による空気感に流されやすい人には直ぐに結果を求めやすいという傾向があります。
もう少し自分に根拠を持ちたい、石の上にも3年だと思える人には‘違い’が分かることだと信じて止みません。

かれこれ15年以上前になってしまいましたが、時の総理、小泉純一郎氏が郵政民営化を問うた衆議院選挙がありました。ワンセンテンス選挙と云われました。一行の言葉に是非を問うというマスコミが小泉氏の意図を増幅させた向きがあった訳ですが、これは分かりやすさの弊害の代表的事例であり、現在只今も社会状況は全く変わっていません。

突き詰めると物事を中道で見る方法として、深い教養や知識を自分の考え方まで落とし込む前提とは何かなのです。
先程来からの読みごたえのある文章の理屈に繋がりますが、要するに分かりやすい文章とは端的な表現になります。よくバラエティー番組で二文字熟語で表現してとかありますが、その曖昧さが答えに変換されます。この端的さは本来説明しないといけない部分を省いているのです。だからこそ本来説明しないといけない部分を読めば、端的な表現ではない意味合いに捉えられる事が多い事に気づきます。

私は今一番必要な考え方は中道理論だと思います。偏らず客観的に結論を見出だせる様々な視点で物事を視る見方と言えます。
そのためにも‘分かりやすさ’という単語に煙に巻かれないことをオススメいたします。

ビル・エヴァンス『アンダーカレント』
アルバムジャケットで3本の指に入る名盤。
ジャケットから意味を求めず、音楽を聴きながらジャケットを見つめて自分なりの行間を描いていく…ジム・ホールのギターも秀逸。

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