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佐野元春の『彼女はデリケート』の一節、冒頭部は有名過ぎます。

    どんな奴でも ひとつくらいは
    人に言えない秘密をもっているのさ

秘密が故に概ね衝撃に類することだとされます。秘密は明らかにされる事で対価を生み出すケースもあります。

昨今の動画配信サービスが主流ではありますが、もはや当事者が高齢となり、自身が時効だと判断して事案の裏側や交渉事を明らかにするムーブメントがすべてのジャンルで巻き起こっているように思います。
所謂、当時の事情でそうせざるを得なかった…しかし事実はそうではなかった、という限りなく真実に近いエクスキューズとでも解されます。

こうした事案を聞いたり読んだりするにつけ、共通の事象に気付かされます。
誰かの犠牲の上に、或いは我慢を強要された人とも言い換えられるでしょうか。そうした人たちがいて大事は遂行されたという認識です。
敢えて犠牲者と総称するならば、彼、彼女らには終生レッテルが貼られる事を覚悟して或るストーリーを受け入れたということになります。
凡そ誰かを守るために、もしくはある種のエゴを通すために、誰かが犠牲の選択を選らばされる矛盾というには不条理な決断が厳然と存在していたことになる訳です。

例えば公文書については情報公開法という法律に基づいて一定期間後に請求による公開に行政が応じるという決まりがありますが、一般的には人間関係から成り立つ事案、さらにビジネスに絡む経緯と、公開には多少の躊躇があって当然とは思われます。しかし、殆どに於いて暴露から名誉回復に繋がるケースより公開する必要があるか否か微妙なケースが多く、今更感で終わってしまう点に、自分が思うより他者は自分に関心がないことを覚らされるように感じる部分があります。

つまり歴史の‘もしも’の実証的仮想スタイルが当事者吐露としてのバリューの有り無しにも近いのではないかと。なるほどと思わせても所詮、後の祭りと解釈される虚しさから逃れられない無常な捉え方に私的には収めてしまいます。

ちなみに『彼女はデリケート』のその後の歌詞は‘And it makes me down’となりますので、訳すと‘そのことが私を落ち込ませる’とあります。一言で表すと‘傷ついた’となりますので、人に言えない秘密は誰かを傷つけることに他ならない真理と考える方がベターだと推察されることになります。

運命に遭遇する時、どのように判断すべきか過去のサンプルから学ぶべき点が多いという事だけは確かだと思います。

今回、本論作成のきっかけは配信公開されたピーター・ジャクソン監督による6時間ドキュメント『ザ・ビートルズ GET BACK』の存在です。劇場ではなくディズニーによる独占配信への疑問はあります。まだ観れてはいないのですが、トレーラーや一部公開映像を観るにつけ、これまでの概念を覆すものになっている可能性や期待に溢れていました。
解散から50年が必要だったのだと…いつか観たいです。

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