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下北沢を歩く。あるいは都市における直線性についての覚書。 /散歩編#1


下北沢、および三軒茶屋周辺をさんぽしてきました。

会話が弾んでいた時代の風景at.下北沢15時
5時間後

おしまい。さようなら。












○冗談です。


最初に散策したのは下北沢線路街と呼ばれる遊歩道。真っ直ぐで大変見通しが良い。林立する植栽を横目に、多くのひとびとが行き交います。
ビアガーデン状の露店ではみなさん食事を楽しんでいました。外国からの観光客も多く、この駅が生田駅の延長線上にあるなんて信じられません。カルチャー系イベントも連日打たれているらしく、大資本による土壌改造が垣間見えます。
遠くからうっすら聴こえるバンドの演奏音と、風に揺られる木々の摩擦。2022年の下北沢ではそういう音楽が流れていました。

あまりの人流に面食らったところで、本屋B&Bへ。コンセプト系本屋らしく、棚にラベル等を敢えて貼らないオシャレ演出も。まぁ単に探しにくいのですが、海外文学コーナーの品揃えが規格外で顎が外れました。結局、カポーティ「夜の樹」と柴田元幸×haruka nakamura「windeye」をお買い上げ。

あたりを一周したところで、下北沢の反対側、商店街が並ぶメインストリートを抜けて三軒茶屋方面に。多少の登り坂はありますが、けっこうすぐ着きます。駅周辺の異様な喧騒の奥には、閑静な住宅街が広がっていました。グリッド上に整備された宅地区域と、混沌とした駅まわり。かの地の魅力はこの落差にあるのかもしれません。

三軒茶屋のジャズ喫茶/バーUncle Tomでは、おいしいコーヒーとジャズをたしなみます。よい音楽!!文化活動!!!

オーナー特製のアイスコーヒー。


人混みを通り抜け、下北沢へ帰還。三日月の緩やかな光線が、高級マンション群の割れ目から差し込んできます。空との距離は次第に広がり、日没を迎えた頃ようやく下北沢に帰ってきました。〆→ジャズ喫茶Masakoでお茶。


時刻は20:30。一行は解散。
下北沢の夜が始まるまで、もうすこし。


○都市における直線性


下北沢の再開発がほんとうにヤバいので、小田急線沿線を利用する方は一度行くことをおすすめします。オシャレ再開発、などといった微笑ましい次元はもはや過去のもの。巨大資本によるテラフォーミングと形容すべき大規模な地殻変動が起きているのです。では、どうして"線路街"なんて名前なのでしょうか。線路なんてどこにもない、少なくともそう見えます。




下北沢線路街の景観はひとことで言うと"モール"。ショッピングモールとそっくりの景色、ということです。モールとの類似性は植栽や客を囲む店舗配置といった視覚的な共通項に限りません。設計思想の段階から下北沢駅をモール化する目論見がみてとれるのです。
cf.)↓

ただ従来のモールと下北沢線路街が決定的に異なるのは、施設一帯が直線状である点でしょう。一般的なモールは、客を施設内で回遊させる円環構造を採用しており、これにより購買意欲を刺激しています。またモールの多くは施設中央ないし入口付近に吹き抜けの大空間がありますが、これも同様の理由。したがってモールはファサードが(建造物の表面の意)すべて内側を向くことになります。
もう一つモールの特徴を挙げるとすれば、自動車文化との蜜月関係でしょう。モール発祥の地アメリカでは、ハイウェイの整備に伴い70,80年代にかけて郊外への遠心化が加速し、ハイウェイ沿いに店舗が設置されるようになります。そういう自動車で移動する郊外の広大な土地に、1箇所で全てが揃うような擬似都市を生み出す。ショッピングモールはこうして構想されました。つまり、モールは自動車で訪れることが前提なのです。ゆえにモールは外側にバックヤードがあり、内側に店舗がある。



そもそも、下北沢の生まれ変わりは小田急線と周辺地域を含んだ、並行かつ複合する要因が絡み合って実現しました。
契機となったのはおよそ2013年頃に始まった、小田急線の一部地下化、および複々線化工事。(複々線化:急行列車と各停列車が走る線路を地下で分離してしまうことで、混雑緩和とダイヤ効率の向上を図る構想。)下北沢駅の場合、2018年頃から本格的に複々線運用が開始しています。

さて、いよいよネタバラシの時間です。下北沢線路街の線路街とはつまり、【複々線化により地上から撤去された旧地上線路跡地、を再開発した街路】なのです。施設が直線状に延びているのも、世田谷代田まで街路が接続しているのも、すべて旧地上線路跡地を利用しているから。実際に行くと分かりますが、以前は線路があった側には店子が、住宅街側には植栽が配置されています。見事なリノベーションというほかありません。
(下北沢駅の周辺、特に現線路街が位置する区画は住宅街となっており、そういった条件も円形モールを難しくさせたのだと思われます。)




江戸時代に起きた生麦事件の原因は──写真家/ライターの大山顕はこう分析します──移動者のスケールの違いにある。
大名行列の薩摩藩士と馬に騎乗したイギリス人。彼らは移動の目的も違えば、移動のスピードも違った。不幸にも、スケールの異なる移動者が同じ道路を利用してしまった。そして不運なことに両者は"衝突"してしまった。
こうして起きた"交通事故"が生麦事件である。大山はそのように紐解きます。

近代以降、物流の高速化/大量化が進んだ結果、それを運ぶキャリアにも並行して高速化/大型化が求められるようになりました。新幹線や高速道路、高圧電線、インターネットの海底ケーブルなどは全てこの大規模運輸のための道です。そして、より多く、より速く届けるためには極力最短距離を採る必要があります。だから前掲の道の多くは直線形状を採らざるを得ない。

都市における直線とはすなわち、人間とスケールの異なる輸送経路の表象なのです。



こう整理すると、下北沢線路街は単に直線であるだけでなく、自動車での来訪を前提にしていたモールの常識を覆していることが分かります。複々線という直線のおかげで生まれた地上の空き地を、直線状に再開発し地域住民向けの遊歩道とモールを融合させる試み。今後下北沢線路街がどのような発展(と衰退?)を遂げるのか、わたしたちは注視していきましょう。

直線の先には、下北沢の未来と、そしてモーターカルチャーから遊離したモールの未来が繋がっています。



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