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宗教と無知

  人の生き死を語るとき、当然自分にもいつか訪れることだから自分も当事者なんで……という気持で適当に語ってしまっているときがある。生死は宗教にかかわることでもあるのに、無宗教だと知らずに人の宗教に対して失礼なことやとんでもない発言をしてしまっていることもあるし、信じている宗教がある場合、その宗教の視点でものごとを語ってしまって、相手を困惑させていることに気が付かない場合だってある。

 シネマトゥデイの編集長として宗教に無知なあまりやらかしてしまっていたことがある。しかも結構長い期間。主にハリウッドスターの場合が多かったが、訃報記事の後に「ご冥福をお祈りいたします」という言葉で結ぶことが多かった。これはかなり宗教的な言葉だということに長い間気が付いていなかった……バカすぎる。セレモニーさんというさいたま市の葬儀屋さんのサイトがわかりやすい。冥福の冥は冥土のこと。「死後の世界での幸せを祈る」という意味の言葉だ。(https://www.sougi.info/column/column_184
 神道では、亡くなるとご先祖と一緒に家の守り神になるという宗教観のため相応しくなく、キリスト教にいたっては死に対する考え方が違う。「地上での罪を許されて天に召す」のだから、死は天から祝福されるべきものだという。また、キリスト教には復活という言葉もある。死後の世界に長居はしないということなのだろうか……。熱心なクリスチャンで有名な俳優の死の結びに、この言葉をつけていたこともあった。申し訳ないです。

 Netflixでも配信しているカナダのヒストリーが制作したドラマ「ヴァイキング ~海の覇者たち~」は相当面白くて夢中になったが、彼らがイギリスを侵略しようとするときキリスト教を目の敵にしていたのは、あまりに宗教観が違ったからだった。ヴァイキングの英雄たちが死んでから行くのが北欧神話のオーディーンの住む館「バルハラ」で、どちらかというと冥土に近いのかもしれない。
 
 しかしどちらにしても違う宗教の者同士が「死んだらどうなる」の議論をするのは永遠にかみあわない。場合によっては争いになる。だけど、死者は語らないので誰にも死後のことなんてわからない。正解はない。どちらの宗教が正しいかなんて正解はない。だけど、礼儀として他人の宗教をおとしめたり、冒涜したりするのは宗教以前の問題で人間としてダメなのでは。宗教戦争に終わりがないのは人間が人間を否定しているからなのだと思う。
 


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