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歌舞伎zakzak-2 スプラッターが見えない神話劇「寺子屋」

introduction

「寺子屋」は歌舞伎の三大名作の一つである『菅原伝授手習鑑』の四段目にあたり、この段だけ上演されることが多く、格段に上演回数も多い人気演目。
初めての方は、チラシの裏の簡単な説明だけではストーリー理解に不十分かもしれません。事前に知識入れていただくか、イヤホンガイドを使っていただくことお勧めします。この名作を前に何が何だか分からない時間を過ごすのは勿体ない。

STORY

藤原時平の陰謀のために島流しにされた菅丞相(かんしょうじょう・菅原道真)の子息菅秀才の命を守るため、武部源蔵は自分が営む寺子屋の子のだれかを身代わりにと思案するが、皆田舎育ちでそれにふさわしい子はいない。苦慮していたところ、今日寺入りした子が、まさに気品あふれる面差しで、源蔵にその決断をさせる。首実験に訪れた時平の家来松王丸は、その首を見て菅秀才の首に間違いないと太鼓判を押すのだった。しかし、その首は……。
菅丞相とその子菅秀才を守るために繰り広げられる一大悲劇。

前半に出てくる寺子の子どもたちが可愛くて心なごむ場面。首実験で緊張。

2022年9月4日~27日 歌舞伎座

舎人 松王丸:松本幸四郎
       尾上松緑  ダブルキャスト
武部源蔵  :松本幸四郎
       尾上松緑  ダブルキャスト
源蔵女房 戸波:中村児太郎
松王丸女房 千代:中村魁春

平安時代なのに「寺子屋」とはこれいかに?

菅原道真のお話なのに、幕が開くと寺子屋(今の私学)に並んで手習いする子どもたちが!あたかも江戸時代の風景。歌舞伎を初めて見る方は????。ましてや歌舞伎から歴史の勉強をしようと思っている人(いるかどうか分からないが)は怒りだすかも?当時は時代考証という感覚は今ほどなくて、自分たちの慣れ親しんだ風俗に当てはめてドラマを表現したもののようです。観客にとってもその方が分かりやすく親しみやすい。他の作品でも平安時代のはずなのに「鮨屋」や「廻船問屋」(義経千本桜)が舞台で、風俗も江戸時代だったりする。当時の観客の知る日常風景が、突然タイムスリップしたように歴史劇のダイナミックな空間に重なるおもしろさ。きっと今の観客にも分かるはず。

誰にとっても一人一人が宝物

冒頭からの場面、寺子屋で子ども達が並んで手習いしている風景は微笑ましい。その後緊急事態となり、あわてた親たちがお迎えに来て、それぞれの親と子が手をつなぎ一組ずつ帰路を急ぐ様子は、「宝物」をうけとったかのよう。百姓で貧しいながらもその先に温かい家庭があることを思わせて、その後の宮仕えをする登場人物たちの親子の悲劇と好対照をなす。
物語の前半で明るく表現される場面ながら、貧富や身分の差に関わらず、親が子を思い、子が親を思う普遍性が強く胸を打重要な場面でもある。

他人のこどもの首を刎ねる、その心は

舞台を見てびっくりする方、いるでしょう。いくら忠義のためとはいえ「他人の子どもの首刎ねる!」その倫理観やいかに? 
そしてそのお話が270年以上に渡って上演され、愛され続けているのです。確かにこれを三池崇史のタッチで映像表現したらスプラッターとなり、このお話の意図は大きく逸れていくことでしょう。この話の眼目は、他人の子を手にかけてまでも守りたいものがある。忠義のため、と言われますがそれ以上に源蔵にとって菅丞相は自分の恩人でもあり尊敬の対象でもあります。そして松王丸にとっても同じこと。
この話の中では菅丞相は人間ではなくて神なのです。そして神を守るためには人身御供も自己犠牲も当然。寺子屋の裏で血なまぐさいことが行われていたとしても、終盤の強烈な神話性が観客にそこまで想像させないのです。

松王丸の大きなキノコ頭の謎

松王丸が登場すると、そのヘアースタイルに驚かされるでしょう。歌舞伎は驚くこと疑問に思うこと沢山です。大きな真っ黒なキノコのような鬘が頭に、これは「五十日」という鬘で長いこと病気で臥せっていて髪が伸びきってるという意味。着物の柄の雪の積もった松も重圧に耐える松王丸の心理描写となっています。歌舞伎では、登場人物の髪型、着物すべてその人の性格や心理を表現していて、記号化されている分観客に一目で人物の位置づけが理解できます。

自己犠牲と大罪を超え、贖罪の旅へ

源蔵と松王丸の対立の構図が、終幕に来て変わる。松王丸の再登場により、それが菅秀才を守るための芝居だったこと、皆が同じ目的のためにそれぞれ大きな犠牲を払っていたことが分かる。犠牲となった小太郎さえも、身代りとなることを甘んじて受け入れていた。
心はひとつだったという共感と大切なものを守り通したひとまずの安堵感の大団円、しかしその後には子を犠牲にした消えない懺悔の気持ちと罪の重さが場の全員を覆う。松王丸夫婦は我が子を人身御供とし、源蔵夫婦は他人の子を手にかけ、人間の限界までの苦悩を背負った。
この「寺子屋」が時代時代を超えて愛されてきた理由は、忠義というよりも、終幕で見られる親から子への強烈な懺悔と贖罪の気持ちが、日常を超えたものでありながら、いつの時代も変わらぬ普遍性を持っているからだろう。

2022年9月4日~27日 歌舞伎座
「二世中村吉右衛門1周忌追善」
https://www.kabuki-za.co.jp/


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