『パラサイト 半地下の家族』(2019)

 『パラサイト 半地下の家族』を観た。

 大ヒットしていたのは知っていたが、食わず嫌いをして観には行かなかった。名作嫌いだからだけではなく、ポン・ジュノ監督だったから避けていたのだと弁解したい。

 『スノー・ピアサー』を昔観たことがあった。クリス・エヴァンス主演で、私の大好きなアリソン・ピルもいたし、ティルダ様もいらっしゃった。けれどもどうしても好きになれなかった。列車の中という限定された空間での生活という設定は面興味深い。車両ごとにカラーが違うのも面白い。格差社会を明確に表していた。それでも上手く表現できない違和感があって、ポン・ジュノの名前があるとちょっと引いてしまう自分がいたのだ。


 『パラサイト』はどうだったか。

 結論から言うと、私は楽しめた。少し定番の流れがあるにせよ、話に引き込まれたし、映像も綺麗だった。が、前評判なしだったらもっと好印象だったと思う。

 「グロい」「怖い」というのが、私が得ていた情報だった。先日地上波で放送された際には、「よくノーカットで放送できたな」という感想が目に入っていたから、どんなに凄惨な結末が待ち受けているのだろうと期待しながら再生した。

 私基準では全くそんなことなかった。『タッカーとデイル 史上最悪にツイてないヤツら』を笑いながら観られる人間には微塵もグロくなかった。もしかして、世間は血の量ではなく、展開がグロいと言っているのだろうか。散々グロいと言われていたために、身構えながら観た『SAW』の時と同じ感覚だ。

 セクシーな場面もあったが、私が長年お世話になっている午後のロードショーはもっと過激なものもあった。裸の女性が歩き回る『スペースバンパイア』については一生語っていきたい。


 『パラサイト』の話。

 貧乏家族の連携はスパイものを見ているようで心が躍ったし、運転手や家政婦を追い出し、乗っ取っていく様は人間に擬態できる宇宙生命体が地球に侵略していくようだった。

 作中では貧富の差が様々な形で提示されている。

 一つは高低差での違い。富める者は高所に住み、そうでない者は低い土地に。日本に置き換えて考えてみても、同じ現象があるだろう。例えば田園調布は高台で地盤がしっかりしている。一方でいわゆる東京の下町は湿地を埋め立てた低い場所にある。『パラサイト』の劇中では豪雨の影響に差ができたが、津波や川の氾濫でも同じことが起こりうるのだろう。それにしても、キャンプがおじゃんになったとはいえ、優雅にセックスをし、雲ひとつない青空の下であっけらかんとしている裕福家族。家が完全に浸水し、家財道具をほとんど救うことができず、体育館に避難して雑魚寝する貧乏家族。韓国ではこんなにも貧富の差が顕著で、富裕層は無関心なのだろうかと興味深かった。

 二つ目は家の違い。邦題にもついている通り、主人公家族は半地下で暮らす。その家には所狭しと生活用品が積まれ、洗濯物もずっと干したままである。高台の豪邸はそんな環境ではない。生活感のない広い空間が続いており、家具も大きなものが多い。しかし、食糧や様々な大きな道具を仕舞うスペースが地下にあるのを見ると、生活感というのは地下に押し込めたい物なのだろうか。

 最後ににおい。貧乏家族の4人は、独特なにおいを発していると度々言及される。非常に差別的な表現ではあるが、人のにおいというものは気になる人にとってみれば気になるものだ。裕福な家は生活感がなく、どんなにおいもしない雰囲気があるから、彼らがそう感じてしまうのも理解ができる気がする。かといって露骨に鼻をつまんだりするのはどうかと思うけど。


 この作品の題名は韓国語では「寄生虫」という意味の単語、英語では「Parasite」というそうだ。邦題は『パラサイト 半地下の家族』。邦題をつける人たちのセンスのなさがまた炸裂してしまったようだ。パラサイトしているのは誰か。原題も英語の題名もそれが誰であるか特定されておらず、本作を観終わった時には、どういう意味かがよくわかるだろう。邦題では、宣伝で使用されたあらすじを含めて考えると「半地下に住んでいた主人公の貧乏家族が裕福な家に入り込むことによって寄生する」という意味にしかとることができない。しかし、それだけではないはずだ。邦題のセンス、どうすれば改善されるのだろう。


 長々と書いてしまった。次回からはもっとふざけた映画について書きたい。

 最後に一つだけ。もしこの映画を日本でリメイクするなら(しないで欲しいけど)、裕福な家族の母親役は木村佳乃にしてくれ。


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