今日は、あったかいお風呂に入ろう
小学校の頃、よく風邪を引いて学校を休んだ。
体調が悪いのは決まって朝で、「具合が悪くて学校休みたい」と母に伝えると、いつも嫌な顔をされた。
「また先生に電話しなきゃいけないじゃない。」
風邪を引くたび、悪いことをしている気持ちになった。
だから、今でも休むことがあんまり得意じゃない。
最近はストレスフリーな生活のおかげで、ほとんど風邪を引かなくなったけれども、
社会人の頃は休みたいと言えず、熱でフラフラになりながら会社に行っていた。
本当に体調が悪くて休んでも、ズル休みしている気持ちになった。
病気は心の声だ。
集団行動が苦手で、学校という社会がすごくしんどかった。
そんなわたしに必要だったのは、咳止めシロップではなく、どうしたの?という一言だったと今ならわかる。
心が癒えれば、身体も癒える。
大人になったら、自分で自分に「お母さん」をしてあげる必要があるように思う。
置いてきぼりにしている感情はないかな?
自分の気持ちに寄り添っているかな?
わたしはまだまだ自分に「お母さん」をしてあげることが苦手だ。
毎日が楽しいと、ついネガティブな感情を置き去りにしてしまう。
両親に対する気持ちだったり、お金のことや将来への不安だったり、ふとわき上がった感情を後回しにしてしまう癖がある。
でも、そのモヤモヤがある程度蓄積されると、立ち止まらざるを得ない現実が引き寄せられるんだなって最近気が付いた。
突然体調を崩したり、ショックな出来事が起こったりする。
今までは、起きた出来事に右往左往していたけれど、そういった思いもよらない出来事は
「少し立ち止まってよ」っていう心のサインなのかもしれないと思うようになった。
人は感情の生き物だから、日々いろんな気持ちを抱きながら生きている。
順調に生きている時には気がつかないけれど、
ネガティブな感情を押し込めて、心の声に目を向けずにいると、やがて身体を壊してしまう。
だから、モヤモヤで心がいっぱいになったときは、黄色信号が出ているときなんだと思う。
嫌われたくないし、傷つきたくないし、カッコイイわたしでいたい。
だから言いたいことが言えなかったり、本当は不安なのに強がってみたりする。
そんなあまのじゃくな自分に気がつくとき。
本当はどう思ったの?
本当はどうしたかったの?
起きた現実は変えられないけれど、ほったらかしにしていた気持ちに気がつくだけで、心の霧が少しずつ晴れていく。
心が揺れる出来事が続き、昨日はぜんぜん部屋から出なかった。
朝になってもベッドに沈んで、一歩も動かないわたしを心配して、パートナーがわたしを笑わせようとする。
気持ちは拗ねているのに、つい笑ってしまう。
今よりもっとベターな自分になりたくて、つい難しく考えてみたり、深刻になってみたり。
でも本当はただ、毎日を笑って幸せに暮らしたいだけなんだって気づく。
足りないことよりも、満たされていることの方がよっぽど多いんだって気づく。
ズルでも本当でもどっちでもいいよ。
誰かに迷惑かけたっていいよ。
休みたいときは、ゆっくり休んでいいよ。
記憶の中で小さく丸まっている、小学生のわたしにも布団を掛けてあげる。
今日は、あったかいお風呂に入ろう。
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Photo @ Azumino Nagano 2018年、秋の安曇野。吸い込まれそうな青空に、思わず自転車を停める。
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