『ビフォア・ミッドナイト』 レビュー そして光のない夜に

ビフォア・ミッドナイト』を観ました。

監督はリチャード・リンクレイター。

出演はイーサン・ホーク、ジュリー・デルピー。

『ビフォア・サンライズ  恋人までの距離』(1995)『ビフォア・サンセット』(2004)の続編です。

脚本はこちら。 http://www.sonyclassics.com/awards-information/beforemidnight_screenplay.pdf 

素晴らしかったです。楽しくて切ないです。


※ねたばれしています


◆永続性と記憶

ギリシャの女性の、亡くなった夫に対する言葉が印象的です。「太陽の光が彼を消してしまう。現れて去っていく。日の出(サンライズ)と日の入り(サンセット)のように儚く」

光のない夜に、『ビフォア・ミッドナイト』は終わります。シリーズを意識したセリフから、夜はジェシーとセリーヌの2人の関係を永遠に続かせるように感じられます(そりゃ喧嘩はしますけれど。waves of moments とジュリー・デルピーは言います)。リンクレイターによれば、「2人同じ時を過ごすには夜は遅すぎること」が今作のタイトルのベースにあります。

『ビフォア・ミッドナイト』はロマンティックなのかどうか。ジュリー・デルピーは言います。「あなた次第。長く続いた関係を知っているならロマンティックだし、知らないのならロマンティックではない」

登場人物の心理・考えは、それを示すような具体的なショットがなく、映画が進むにつれて明らかになっていきます。ギリシャの作家の家の中と外や、ホテルのベッドルームとリビングを縦に撮っているのは、このシリーズとしては衝撃です 笑。私たちが観ていたのは、ジュリー・デルピーとイーサン・ホークが並んで映るショットが殆どでしたから。今作は、ベッドとソファーの距離が前作『ビフォア・サンセット』より遠くなっていたり、シーンが屋内では終わらないところなど変化があります。会話劇ですが、前作・前々作と比較して、2人がそれぞれ別の場所から会話したり、かなり動きが加えられていました。また、上でセリフを引用した女性など第3者の存在が、映画全体に客観性を持たせています。ラストの会話の、ジェシーとセリーヌを交互に映した後2人を1つのショットに収めカメラが引いていくというのも、映像とストーリーが一致していて良いと感じました。

『恋人までの距離』『ビフォア・サンセット』が点であるなら、今作は線であり、9年間続いた時間の最後を見ていることになります。18年前を思い起こさせるセリフが随所にあり、それは「時の流れ」を強く意識させるからです。過去と現在は1本の線ではっきりと繋がることはない。そのような台詞がありました。歴史を感じさせるギリシャを舞台にしたことも効果的だったとイーサン・ホークは言います。前2作の対極にありながら、時間を制限し1日を切り取ることでシリーズの一貫性を保っています。『~サンセット』には存在した回想シーンがありません。前作に比べ映像がシャープであったと思います(ホテルでの一連のシーンにおける、画面の奥にフォーカスを合わせたショット)。

フランソワ・トリュフォーのアントワーヌ・ドワネル連作(『大人は判ってくれない』『アントワーヌとコレット/二十歳の恋』『夜霧の恋人たち』『家庭』『逃げ去る恋』以上1959~1979)にインスピレーションを得たとリンクレイターは語ります。ジェシーとセリーヌの会話の中にあった「ポンペイの遺跡で抱き合っていた夫婦の遺体」が登場する映画は、ロベルト・ロッセリーニの『イタリア旅行』(1954)です。


・参考

ファン待望の第3作公開 R・リンクレイター監督が語る「ビフォア・ミッドナイト」
http://eiga.com/news/20140117/12/


Nine More Years On, and Still Talking
http://www.nytimes.com/2013/05/05/movies/ethan-hawke-and-julie-delpy-discuss-before-midnight.html?_r=0

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