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活力とエンパシー(共感)について/週刊誌と、日本という国の行末(3)

先ごろ、松尾潔さんのサンデー毎日に掲載された記事「『週刊朝日』休刊に捧げる雑誌文化論」の感想を書きました。

(1)は、こちら↓


(2)は、こちら↓

(2)の最後に、自分の信じる道を価値観のアップデートをしながら歩めたらどんなに良いだろうかと感じる最近、と書いたのですが、その「最近」の考えは↓の投稿にあります。

簡単に内容を書くと、ウィトゲンシュタイン研究者/哲学者の槙野沙央理さん、作家の川上未映子さんの言葉を引用しつつ、ある出来事を見るときに悲しんでいたり苦しんでいる人のことを見逃さないようにしたいということが増えた、というような内容です。LGBT理解増進法という当事者が不利益を被る可能性のある法律が可決されたことが背景にあります(私はノンバイナリーです)。

そして日々、私は双極性障害の鬱で落ち込むことの方が多く、診断を受けた3年前から人生に対して川上未映子さんの言うところの「何年経ってもベリーハード」な状態なのですが、↑の(1)のラストで週刊朝日を復活させたい!と書いたように、活力が湧いてくる瞬間があるのもまた事実です。

松尾さんは、次のようなツイートをしていました(ツイッターではなく、Xになるそうですね)。


なぜこの投稿を思い出したかというと、川上未映子さんとブレイディみかこさんの対談記事を読んでいたからです。5月23日の読売新聞の記事の中で、川上さんは次のように言います。

ブレイディさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、イギリスの家庭が舞台で、主人公の中学生は複雑な環境に置かれ、多様性や人権、同情(シンパシー)と共感(エンパシー)など様々なことを考えさせる本です。実はかなり難しい内容なのに、ベストセラーになることに希望を覚えます。

読売新聞5月23日  

私はブレイディさんの本を読んでいる最中ですが、松尾さんの言葉からも、エンパシーの重要性を感じています。

先に書いた活力についても、対談記事のラストにありました。川上さんは次のように話しています。

人との接し方も、変化しているのでしょうか。競争社会は激しいままで、「弱さ」はもちろんのこと、男性的な「強さ」だけでも受け入れられない。自分はこんなに傷ついていますと語る「弱さを訴える強さ」が必要な時代です。単純に弱くも、強くもいられず、社会の中でどう振る舞っていいか誰にも分からない状況が、新しい生きづらさを生んでいる。

読売新聞5月23日


ブレイディさんは、次のように返します。

いずれにしても、今の日本に必要なものは「活力」ではないですか。日本の学校の話を聞くと、教師や大人たちの言うことに子どもが慣らされすぎている。自分でもっと考えて行動できるようにならないと。

読売新聞5月23日


エンパシーと活力の関連性について考えています。共感から活力・・・ひいては変化が生まれるのだろうか?など。疲弊しきっていれば、活力は生まれません。

みなさんは、活力が湧いてくる瞬間はありますか。

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