見出し画像

週刊誌と、日本という国の行く末(2)

『サンデー毎日』の、松尾潔さんの記事「『週刊朝日』休刊に捧げる雑誌文化論・後編」を読みました。

松尾さんは「実は、最近の週刊朝日はめっぽう面白かった」「卒業間近になって、先輩自身が魅力を増したのである」と書きます。

昨日、ある老舗食品会社の広報部の方とお話をしたんです。そこにはロングセラーの目玉商品がある。商品自体は変わらないけれど、10代の新しい子たちに向けてどうイメージ戦略をしていくか、とか時代時代に合ったアピールを常に考えなければいけない、とおっしゃられていて、すごく示唆に富んでいると思ったんです。正直言って、我々はそれに失敗したんだろうと。私が編集部に入るもっと前から、むしろ一番調子の良かった時代から、そういうことを意識する誌面作りを継続していくべきだったのだろうと、今は思います。もう何十年も前から端緒があって、誌面作りをその時に変えていれば、ウェブで残るとかではなくて、紙でももっと長くできたかなと。

サンデー毎日 2023年6月18日号  

渡部編集長は上のように言います。もう既に崩壊は始まっていて、取り返しのつかないところにいた・・・。要約するとこうなるでしょうか。リドリー・スコット監督の作家性について、ライムスターの宇多丸さんが『悪の法則』の映画評で同じようなことを言っていたことを思い出しました。先日亡くなったコーマック・マッカーシーの脚本と、スコット監督の作家性が偶然一致したのであろうことは、ブルーレイ収録のオーディオ・コメンタリーからも伺えます。『プロメテウス』『エイリアン』も同じ文脈で観ることが可能です。

こういう事態に直面した時、どうすべきなのか。上記の映画たちが教えてくれるのは、「どうしようもない」という身も蓋もない事実です。絡め取られた蜘蛛の糸の上では、身動きできず、ただ死んでいくのみ。

渡部 そこでちょっと思われることもあったのかな。小田嶋隆さんの訃報を書いてくださったことがきっかけとなって、連載継続を考えた時に紙の週刊朝日を選んでくださった。紙が伝える連載は受け手をせき立てないというか、なんとなく読んでもいい文化。対してウェブはどちらかというと情報を「取りにいく」メディアなので。

松尾 同感です。読み飛ばそうとした中でもふと目に入ってくるものがあり、場合によってはそれで人生が変わることもある。

サンデー毎日 2023年6月18日号  

読み飛ばすという点では、Instagramのストーリーもそれに当たるのかなと感じました。ストーリーは24時間で消える投稿です。消費スピードが早まっていることもあるでしょうが、たとえば今年誕生250周年を迎えるフランスのシャンパーニュ、ヴーヴ・クリコはストーリーで創業者が歩んだ歴史を振り返っていました。一般の投稿でシェアしつつ、そのようにして延命し生き残っているわけです(『シャンパーニュの帝国』は絶版ですが良い本でした)。ウェブは情報を取りにいくメディアであると渡部編集長は言い、松尾さんもそれに同意しています。お金を払っているかどうかという点で、お二方の仰ることとは異なるかもしれませんが、週刊朝日を買わなければ週刊朝日の記事は読めず、Instagramはフォローしなければストーリーを見ることはない・・・このように並列出来るかと思います。現代は情報が分散している一方、「読み飛ばす」文化は形を変えて残っています。ウェブはお金を払っていないのかというと、私はヴーヴ・クリコのシャンパーニュを店や家で飲んだりしているので、どう考えるべきなのでしょうか。ウェブは無料から有料への扉が開いているのかもしれません(商品を知ってから企業のアカウントをフォローするという、その逆もあります)。渡部編集長は次のようにも言います。

たとえば「フランスのマダムが教えるアイスティーの淹れ方」がウェブメディアでは「いま読まれています」の1位になる。すごく乱暴な言い方ですけれど、現状のウェブメディアでは、無料で、かつ生活に役に立つ記事でないと読まれにくいんですよね。「お風呂の入り方」みたいな誌面なら2ページぐらいの、新聞広告にも載せないような小ぶりの記事が、ウェブに転載したらものすごく読まれたりもする。

 そういう意味で、記事の読まれかた、情報の消費のされかたに戸惑うこともあります。一方で取材は無料ではできないわけですし。戸惑わずに一気に転換し、さらに収益を上げるビジネスモデルを確立できたメディアが成功するんでしょう。休刊の責任はもちろん感じていますが、メディアは過渡期のただ中にあり、生き残りは簡単ではないと実感します。

サンデー毎日 2023年6月18日号  

生き残るという点では、コーマック・マッカーシーとリドリー・スコットは死を突きつけています。常に先を見据え、長い目で物事を捉えなければならない。スコット監督の『ブレードランナー』は公開当初は批評家から酷評され、ファンの根強い支持によって公開25周年でファイナル・カット版が製作されました。批評は読まずに自分の信じる道を進むことを監督は公言しています。価値観のアップデートをしながら(『ブレードランナー』と『最後の決闘裁判』をジェンダーの視点から観て欲しいです・先述の宇多丸さんが関係している「映画秘宝」も)、そうした歩みができればどんなに良いだろうかと、感じる最近です。


参考

◆ヴーヴ・クリコ Instagramアカウント
https://instagram.com/veuveclicquot?igshid=MzRlODBiNWFlZA==

◆『プロメテウス』レビュー 映画は世界を変えるか? 人類の未来と、その起源
https://note.com/cinefil/n/n41ca48f7bd8e

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?