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自分の遺言をどうしたいか考えるとき、一度、家族から解放されてみることをお勧めします。

「女たちの遺言書シリーズ」の前回で、エンディングノートを書き始めると、いつのまにか、生きている間にやりたいこと、ウィッシュリストが浮かんでくると書きました。

それを、今回はちょっと掘り下げていこうと思います。

まず、最初は残された家族にあれもあげたい、これもあげたいと書き出していくうちに、自分の家族史を思い返していくようになります。
そうなると、遺言より、自分が生きているあいだに見届けたいという思いがでてくるのも自然なことなのです。
そして、それは、血縁関係を中心とした家族に限るわけでもないのです。

たとえば、こんな思いを持つ方もいらっしゃいます。

『今はこうして健康だけど、介護を受けるようになったら、お墓参りにも行けなくなるのだろうか。そもそも、わたしが死んだら誰がお墓を守ってくれるのだろう。この際、お墓についても、見直してみようかしら』

『息子はバツイチとなって、そのあと再婚したけれど、前の奥さんとの間の孫はどうしているのだろう。別れた後、母子家庭で苦労していないだろうか。いくらかでも援助してあげたいな』

『お葬式にお金をかけるくらいなら、自分史を書いて自費出版しようかしら』

『空き家となってしまう自分の家を、なにか地域の福祉に役立つような場所にしてくれるようなNPOなんかがあったらいいのになあ』

などなど、挙げればきりはありませんが、その人の生きた人生分だけ、きっと思いはあるはずです。

遺言書は、単なる遺産分割ではありません。
あなたが亡き後も、あなたの思いを残す手段なのです。

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