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穏やかでありたい。

今日こちらの記事を読ませていただいて、思わずハッとすることがありました。

もしかしたらその同僚の男性もこのような要素があるのかも…と思って(そういえば楽器演奏がとても上手)。

まずは私自身も少し、感じ過ぎてしまうようなところがあるので、自己解決が先ですが(ちなみに私は楽器全然うまくない笑)、なかなか話す機会はなくても、相手のことも遠くからでも理解することができたらいいな、と思いました。穏やかに理解したいな、と思います。

そのためには、自身の勉強_φ(・_・ ←こちらがメインかもしれません。  

…でも最近、そんなに肩の力を入れなくてもいいんだな、と思うことが多いです。

なぜ急にそう思ったか。
思い当たるのは、今週でオンライン瞑想を一旦終わる先生に、無理してほしくないな…と思って。
本当に心を尽くしてくださって、心だけじゃなく、聞けば、深夜まで眠れなくなるほど、朝の講話を調べたり考えていてくださったり、身を尽くしてくださったのだなと思うと、泣いてしまう( ;  ; )

逆に、毎度困らせられる上司に、いちいち「心」を配る必要が全くないことに気づき。そう決めたら、かえって言葉が優しくなりました。あ、言葉だけでいいのかって。

その人たちに悪気があるわけじゃなくて、言葉でのやりとりが普通の人たちなんだ、と思います。ここに書いていて、心のやりとりがないからこそいいんだな、とも思えました。

本当に、周波数が違うからうまく真意を聞き取れないだけというか。。例えば、自分が知らない国の言葉のラジオって、そもそも基地局も遠いのか聞き取りづらいし、そのうち周波数変えて、他のチャンネルにすると思う(音楽メインなら良いかもですが…)。この聞こえづらい外国語のラジオを聴くことが仕事ですよ、、って言われてるようなもんかなって。。それなりに差し引いて聴きますよね(^◇^;)

テレワークで、偏った感情的なメールが来たとしても、一旦受け入れて(たしかに。仰る通りですね、なるほど、もっともですね。そうですよね!など)、その後言葉で穏やかに状況説明すれば、相手の方で勝手に組み立てたりして理解して終わることも、結構ありました。
それが通じなくても、とりあえず周波数違うので、「言葉」で説明することが大切かなと。心で繋がると、きっと、住んでるところや時間を超えて、ジンとするんですけどね(^_^;) 繋がってないから、状況説明が必要_φ(・_・ 

ネタっぽいニュース見てたら「主人にキャベツ買ってきて、って頼んだらレタス買ってこられた」みたいなのが載ってたんだけど、「とんかつ作るから、それに添えるために千切り用のキャベツ買ってきて」って言ったら、キャベツ買ってくる確率が20%アップするかも、みたいな。。

そう思うと肩の力入れなくていいし、言葉だけの人たちは、言葉だけ返したらいい気がしました。かえって気楽な面もあるかもしれません。

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肩に力を入れないと言えば、瞑想も、オンラインのクラスがあるときだけとか、寝る前に誘導瞑想を聴くだけの日も作る、とか自分が心地よくできるタイミングでやるというのでもいいのかなと。
最近は入浴後に筋トレやストレッチをやってみると体が引き締まって自信につながるなとか、でも全部のメニューが体力的にきつかったら途中までにしよう、とか。いろいろ気負わず試してみようかなと思いましたd(^_^o)

良い夜を!








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