見出し画像

「心のおもむくままに」に惹かれて。

お盆休み突入一日目は、カフェ活スタート٩( 'ω' )و いくつか読書感想文を。

スザンナ・タマーロの「心のおもむくままに」は、十代で出会って、心を鷲掴みにされる作品だった(マンガに比べて値段が高かったから、何日か悩んで買ったのを覚えている)。この本をうまく説明できなかったけど、自身が説明できないことを、本書の中で、祖母が孫娘に宛てて書いている、という作品だと思う。

久しぶりに、「あの、幸せと、喜びの違いにふれたフレーズ、なんだったっけ」と思い出したくて、図書館で取り寄せる。

読み直すと、圧倒的な安心感がある。
本当の意味で、「自分らしく生きる」ということ。
少しずつ(前読んだ時より)、手紙の主の祖母の年齢にも近くなってきて、少しは意味がわかってきたのだろうか?

探していた文章を見つけた。

「音楽はゆっくり消えてゆき、それとともに、幼いころのわたしを支えていた深い喜びも消えていった。わたしがいちばん愛惜するのはこの喜びという感情なのだよ。それからも幸せではあったけど、喜びにくらべたら幸せなんて日なかの電灯みたいなものだ。
幸せになるには必ずしもなにかがなくてはいけなくて、それがあるから幸せなのだ。つまり外界に依存した感情なのだよ。喜びにはそんなものはいらない。目に見える理由がなにひとつなくてもわたしたちをつつみ、まるで太陽みたいに、自分自身の核を燃やしながら燃えつづける。」

ふとした瞬間ごと、この文章を毎度思い出しては、惹きつけられていた。
そのときはどうしてかわからなかったのだけど、このフレーズのその後、「自分らしさ」と「人物像」について、触れられている。

世間は自分らしさより人物像を大切にしていて、小さな「わたし」は、自分らしさの大切なところを捨てて、人物像に当てはめようとしてしまうと。生きているだけの喜びを、捨ててしまうと。
気になっていたフレーズの、「その先」を読み進められた気がしました。30年かけて。。

私も生きていることが喜び、というのは難しかった。
喜びは、いつか捨ててしまっていて、いつか取り戻すことはできるのだろうか?それともそこに在るのに気づかないのだろうか?
太陽の光を浴びたり、綺麗な花を見ることも幸せだが、他の対象があってこそ。。
…と思っていたけど、それを感じ取れる自分が、そこにいるということじゃないか?とふと思いついて。
ただそこに在るだけで、幸せな境地。
自分が自分でいて居心地の良いこと。
喜びは、自分自身への生への祝福だ。

すてきな一日を。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?