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五感が眠っている日々についての考察

以前、「体は起きているけど、感覚が眠るような日々」について書きました。
私としては、けっこう退屈でしんどい日々について、です。

こちらの記事、ごくごく個人的なエピソードだと思っていたのですが、思いのほか、ご感想やメッセージをいただきまして、「やっぱりこのテーマ、もう少し丁寧に扱おう」と考えました。

フィードバックを下さった皆さんのお話では、私ほど鬱々とせず、生活の一部になっていたり、立ち向かっていたり、もう楽しんでいたり。捉え方も様々だったんです。だから、「私の捉え方」も、もう少しみてみたいと思いました。

そうして昨年の12月以来、この「眠る期間」についての観察と考察をすすめていたのです。

現在2月中旬。あれ以来ずっと目が覚めています。
いや、正確に言うなら「眠りが深くなる前に目が覚める」ようになりました。

やはり、私が眠ってしまうタイミングって
「もうこんな世界つまんない」って思う時なんですよね。

それで、自分をよく観察していると「お!つまんないって感じ始めたぞ!」って分かるようになったんです。

そこから「自分がなぜそんな気持ちになったのか?」と、
逆にたどっていったところ、

「もうこんな世界つまんない」の前に

「思い通りにいかない」があり、その前は何があったか振り返ると、
「せっかく〇〇したいと思ったのに、予定があわない」や、
「あの本が読みたい!けど、すぐ手に入らない」とか、
「欲しいケーキがあるけど、買いにいくのを面倒がり、そのまま熱がさめる」などが続いていました。

そう、ことごとく自分の欲するものを手にできず、小さく打ちのめされていたのです。

ここから、「一つあきらめると、あきらめモードの深みに進む」というパターンを発見し、それ以来改めて、小さな欲望を大切にすることにしました。

私が自身が「世界がつまんない」を追求していたのですね。
たぶんそういう時は、脳のなかの回路も「世界がつまんない駅」への思考の道が太く繋がり、ますます向かいやすくなっているのでしょう。

極め付けは、年始に「自分で自分の首をしめる」夢を見たことです。
これね、けっこう驚いたのですぐ書こうかと思ったけれど、あまり良い気分がしない表現だと思ったのでやめました。

怖い夢ではないんですよ。
鏡のように自分の状態を見ていて、「あ、これ自分の手なんだ!」と思ってほどくんです。そしたらすっと楽になった。

この夢、絵としてはインパクとがありますが、
「不安も苦しみも、全て自分でつくってるんだよ」
という自分自身からのメッセージだと、私は意味付けました。

それ以来、深みにはまりそうになると、イメージと共に「いかんいかん」となって、暴走をとめられるようになったんですね。

また、暴走がとまらない時は、
「君はまだ暴走したいのだな。ふむふむ。しばし暴れたまえ」と少しの余裕ができました。少しです。

これらの考察を踏まえると、やっぱり苦しい時、自分にとって辛い時ほど、私は「表現すること」で窮地を脱しているように考えられます。

今回も書くこと、そしてフィードバックをいただいたことで、解明できたことがありすぎる。

そして、「私なんぞの個人的な感想なんて」と思わず、私からも感想を送りたいなと思ったのでした。





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