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八月の人魚姫


水無月が終わる頃、うだるような暑さが近づいてきて、私は人魚になった。

白濁色に近い水色の、少し冷たい自分だけの池へ身を投げて思いきり頭まで沈んでみる。普段感じることのない無重力に心地良さを覚えながら、体の熱を少しずつ逃がしていく。

ここ最近、周りと違う自分の体に少し飽きている。綺麗なヒレも綺麗な鱗もないのに、体のど真ん中に真珠を抱えているのだ。
若かった頃は、自分の周り同様に人魚特有の綺麗な歌声だって持っていた。今はというと、真珠を抱えると決めたおかげで歌声を失った。

誰かが言う。
「大丈夫、もうすぐだよ」。
私は思う。
「あなたとは時間の経過が違う」。


それでも、周りと違う自分の体に飽きていても、それを憂いていても、やはり真珠が愛おしく綺麗であることに変わりはない。

自分だけの池に浮かぶ、私の体。
その体のど真ん中に浮かぶ、私だけの真珠。

大きくて小さな、何よりも綺麗な真珠。


遠い昔、自分の美しい声と引き換えに愛する人を手に入れようとした人魚がいた。彼女は結局泡になってしまったけれど、それもまた彼女の幸せの形であった。
あれをハッピーエンドと捉えるか、バッドエンドと捉えるかなんて、彼女にしか決められないことだ。

あなたは泡にならないでね、と小さく祈りながら真珠を撫でて、池の水を抜いた。


葉月、真珠が人魚になる。

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