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自担の代わりにアイドリッシュセブンが私を赦してくれた。

「映画の台詞や、小説の一文や、歌のフレーズを聴いて、まるで、自分のことみたいだって思ったことない?自分が言葉にできなかったことが、そう、それ!って感じでそこにある。手を伸ばしたくなって、身体が痺れる感じ。」

これはIDOLiSH7のシナリオ3部7章の台詞なのだが、わたしはこれに似たようなことをアイナナに感じ、それによって救われた。

私、ジャニオタ歴14年、、、。
酸いも甘いも担当と共に過ごしてきた。
楽しかったし、嬉しいことも本当に沢山あった。
自担のドラマが決まっただけで、音楽番組への出演が決まっただけで、今日を頑張れた。
応援していたことに後悔はないし、何度でも同じ人を好きになりたい。でも、アイドルを好きにならなければ知らなかった痛みも、本当に本当にたくさんあるのだ。


わたしは元来"アイドル"というものが好きで、CDを買い、ファンクラブに加入し、ライブに行き、応援してきた。
アイドルはわたしを見たこともないような世界に連れて行ってくれるが、同時にやり場のない感情を持て余す原因となる。

好きが私を蝕む

アイドルを応援したことのない人からすると意味のわからない感情かもしれないが、
「昔はあんなに好きだったのに、もうあまり好きではないのかも、いやそんなことはないはず...」と、モヤモヤしたり、
「なんで路線変更したんだろう、前の方が良かったのに」と勝手なことを思ったり、と
様々な感情が出てくる。

しかし、私はこのアイドルに対する"モヤモヤ"した感情を的確に言語化できないでいた。
それをサラリとわたしの目前に提示してくれたのがアイドリッシュセブン だったのだ。

アプリ内で私は、IDOLiSH7のマネジャーという立場で登場する。
そのため、アイドルを応援する立場としてストーリーを進めながら、アイドルの裏側を覗き見ることができるのだ。
この、現実世界では絶対に交わることのない両者の視点でアイドルを描いている。
このゲームの台詞にわたしはとても救われている。


初めはただただ好きだったはずなのに、その感情をずっと維持することは難しい。
環境の変化と共に興味が薄れる時期もあるのだ。
初めて、その時が訪れた時私は酷く困惑した。
「あんなに好きだったはずなのに、もうそんなに好きじゃないのかな。」と、以前ほど熱量を持って応援できない自分がもどかしくなる。
他の芸能人にも興味が出始め、
「もしかしたら、○○くんの方が好きかもしれない...」と、自分の中で一番好きでないと応援してはいけないのではないか。という勝手な思い込みで心が騒ついていた。

作中で、完璧なアイドルを全うする九条天は、
「九条天のファンでいたせいで、傷つくことがあったなんて、ボクは許せない。ボクのファンでいること、いたことを後悔させたくない。いつか、ボクから他へ興味が移って、ボクのファンを止めることがあっても、ボクを応援していたこと、ボクに時間を費やしていたことは、楽しいものだったと、笑っていて欲しい。」
と言うのだ。

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私はこの台詞を読んだ時、
自担にこれを言って欲しかったのだと、思った。喉から手が出るほど欲しかったものだった。
まさに、冒頭の百の台詞である。

いままで、よくわからずモヤモヤしていた気持ちが言語化して目前提示されたのだ。
誰の赦しも要らないはずなのに、1度誰かの応援をしてしまうと他の人を見ることに対して、
赦して欲しいという気持ちが芽生えてくる。
全員に当てはまる感情ではないと思っているが、ジャニーズ文化に根強く「担降り」というワードがあり、これについて長文で想いの丈を綴る人が大勢いることを思えば、極度にマイノリティと言うわけではないだろう。

他に興味が移ること、熱量が下がることに勝手に後ろめたさを感じてしまう。
私はその感情をいつまでも胸の奥底で燻らせている。赦されたかった。
「他に興味が移ってもいいんだよ。」「 今まで好きでいてくれてありがとう。」そう言って欲しかった。(今もまだ好きです。)
欲しくて仕方ない言葉をくれた、それがアイドリッシュセブンだった。

しかし、ファンが本当に苦しむのはアイドルに無意識に"変わらないこと""終わらないこと"を望んでしまうから。
私は彼らが好きだから、彼らの変化にも自分の心なし変化にも苦しむのだ。
そう理解できた。

終わらせないで

昨年1月の初めに、外れていたライブに制作開放席で当選した。当選メールが来たのはライブの2日前。スペインから帰る飛行機の中だった。
日本に着き、その足でライブに向かった。
20周年の記念コンサートだった。
久しぶりだし、行けないと思っていた公演だったこともありとても嬉しかった。
そのライブは20周年感の軌跡を思わせる映像から始まるのだが、開始2秒で泣いた。
本当に今まで楽しかったのだ。本当に。
感謝してもしきれなかった。
同時に、永遠に続いてほしいと思った。
でも、ファンというものは怖い。無意識に彼らから永遠を感じられなかったのかもしれない。
薫ちゃんが言っていたセリフが公演中何度も頭の中を駆け巡った。公演終了後、あまり人の目に触れないようそっとTwitterに感想を書き残していた。
終わらせないで欲しかった。ただそれだけだった。

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私がコンサートに行ったおよそ2週間後、彼らは無期限の活動中止を発表した。                                   本当に辛かったし、泣いた。
そこまでは天と百の言葉のおかげで、
楽しく、折り合いをつけて応援できていた。でも、流石に堪えた。どこか他人事だった。
私は女性アイドルも好きだけど、特に執着するメンバーがいるわけではない。
女性アイドルは男性アイドルと比べて、活動期限が短い。グループからの卒業が付き物だ。
私はそれを傍目で見ていた。某アイドルの卒業公演なるものをDVDで見て泣いたこともあるが、ひとときの感情だった。
自分に降りかかるとは思ってもみなかった。
永遠なんてないのだ。

愛されていたと信じて。

その後、無期限活動休止報告の記者会見をみて
私たちファンは本当に彼らに愛されていたのかもしれないと思った。いや、そう気づいた。
どこか半信半疑だったのだ。
アイドルはよく、ファンのみんなのこと好きだよ!愛してるよ!と口に出してくれる。
捻くれた大人になってしまった私は、話半分くらいの気持ちで、私たちファンへの感謝の言葉を受け取っていた。
しかし、彼らから紡がれる言葉たちからはファンを愛してやまない気持ちが伝わってきた。
もう、いいと思えた。十分過ぎた。

「アイドルを苦しめるのはいつだって好きの感情なんだよ。」この台詞は、本当だったんだ。
百は優しい。優しいからこその感情だろうな、と当時は思っていた。こんな風に自担が考えてくれていたらどれだけいいだろうと羨ましかった。この台詞はファンを本当に愛していないと出てこないだろうから。

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憶測でしかないけれど、この言葉は本物だ。今はそう思う。
私たちの「好き」が、彼らを苦しめていたのかもしれない。そうなら、少しだけその苦しみを和らげてあげたい。
彼らに永遠を望む私たちは、心の中でいくらでも彼らを永遠にできる。
休んでもいいよと言ってあげたくなった。ありがとうと伝えたくなった。
私たちは愛されていたのだ。それがわかれば十分だ。


ありがとう

私はわりと理屈で感情に折り合いをつけるところがあるため、
"アイドルを好きなことで苦しむ"という絶対に消化できない気持ちを持て余す。
勝手に彼らを好きになり、勝手に一人で苦しんでいるという誰に向けることもできない感情だからだ。
でも、アイドリッシュセブンのおかげで自分のモヤモヤをひとつずつクリアにできた。
私はアイドルに赦されたかったし、変化を受け入れたかった。ただ、そのための言葉が欲しかった。
当たり前だけど、私は自担と同じ空間に存在しないし世界は交わらない。直接欲しい言葉を貰うことは叶わない。
だけど、アイドリッシュセブンが代わりに欲しい言葉を持ってきてくれた。

勝手に彼らを好きになったのだ。
これからも、好きでいさせてもらおう。
私の最愛の自担。今までありがとう。これからも大好きです。あと少し頑張ってください。
アイドリッシュセブン、そう思わせてくれてありがとう。彼らにはこれから更に辛いことが起きるかもしれないけれど、全力で応援します。
5周年おめでとう。

出逢えてよかった。