見出し画像

そもそも日本を出ることになった話

この夏で、フランス在住計12年になる香田有絵です。
今でこそ、当たり前のようにフランスでお散歩しているわたしですが、そもそも日本を出た日というのが存在します。
今日は、どういう経緯で日本を出ることになったか、わたしの最初の一歩について書きたいと思います。

海外で生活する人間はどういうきっかけで外に出るのか、という一例としてもお読みいただけますし、今とは違う生活をしてみたいけれど一歩を踏み出すか迷っているという方には、何かヒントになれば幸いです。

キーワードは「心に従う」。

わたしが最初に海外で暮らすために日本を出たのは2003年。
その時の行先はアフリカでした。

表紙の写真は、2003年にアフリカのジブチ共和国で撮影したものです。
当時わたしは、青年海外協力隊員として派遣されたばかり。

青年海外協力隊員になったきっかけは、演劇です。
そのころ演技に夢中で、ある劇団にいました。

ロシア人演出家のもとで、チェーホフの『桜の園』という作品に出演していた時のことです。
ロシアの国全体を覆う「貧困や社会階層の話」が出てきたのですが、国全体が貧しい状態というのを実感できなくて、急に興味を持ったのです。

テレビでは知っているけれども、実際に目にしたことはない世界。それを今知らなければという思いが強くなり、「現代で貧しい国と言えばアフリカだ。アフリカに行こう!」と。

そうしたら偶然電車で「青年海外協力隊」の募集ポスターをみかけ、協力隊ならアフリカに行けそうと思い調べたら、偶然家の近くで直後に説明会があり、なんとなく行けそうだなと思ったら、偶然試験の日は半日舞台の稽古が休み、偶然二次の面接は稽古が丸一日休みと、偶然に偶然が重なって、気が付いたら候補生になっていました。

このくらい偶然が重なると、それは「運命かな」という気がしてきます。

ここまで、あまり深く考えることなしに、直感に突き動かされて行動していました。
将来のことなどきちんと考えていなかったように思います。

35倍という競争率をそれと知らずに合格し、決まってから「アフリカに2年住む、現地の人のために使命を果たす」という事実の重大さに心を合わせていった感じです。

ジブチ日本語

派遣が決まったジブチという国は、地球儀の中になかなか見つけることもできない小さい国でした。
「世界で一番暑い国」らしい、「夏は気温が55℃にもなるらしい」と知り、サウナに行ってその暑さを体験してみたりしました。

本当にわたしはアフリカに行くのかしら?
行った自分と行かなかった自分を想像しました。
「どちらにしろ、後悔するかもしれない。でも、後悔するなら、行って後悔する自分の方が好きだ」と思いました。
日本にいるより、アフリカに行く選択をした人生の方が自分らしいと。

劇団は2年休むことにし、仲間や友人からもらったお守りや本やメッセージを文字通り手に握りしめ、両親や友人に見送られて成田を飛び立ちました。

不安もありつつ、その選択をした自分に満足していました。

そして、日本にいたら経験できなかった日々がはじまったのです。

ジブチに向かって飛行機が降りていく時、あまりにも何もないのが印象的でした。日本を離れる時も、中継地のパリを離れる時も、空港の周りには街や緑地が広がっていたのに、そこにあるのは海と荒野だけに見えました。

その荒野が下の写真です。これはエチオピアとの境のラック・アベと言われるところ。ヤギを連れて荒野を歩く遊牧民がいます。

ヤギを連れて歩くノマド

同じ地球上にありながら、ジブチは日本とはあまりにも違う国。
よく「別世界のよう」という表現がありますが、そんな言葉では足りない。
「別の惑星のよう」な国でした。

それもそのはず。映画「猿の惑星」が撮影されたところだそうです。

例えば下の写真、上の荒野の近くです。一見のどかな小川にみえます。
でも水温をはかると、89.9℃。

一見のどかな小川のある風景
画像2

首都から何時間も車に揺られ、一泊して翌朝その地に着きました。
車を降りた途端に「カーン」という音が耳に響きます。写真では見えませんが、空気中が蚊でいっぱい。息を吸うと鼻に入ってきそうで、鼻を覆って歩く必要がありました。

人が住めるところは、さすがにそのようなことはありませんが、日常風景にラクダがいます。海辺や道路上にも。遊牧民が多い国だからでしょう。

海のラクダ
道のラクダ

ラクダより多いのはヤギ。家の中にも入ってきます。

ヤギが家に

気候も歴史も違う国に住んでいる人たちは、当然ですが、日本人とは価値観も違います。
でも今いるフランスとは違って、もともと2年の予定でしたので、ショックを受けつつも、「こういう人たちもいるんだなあ」と何もかもが面白く新鮮に受け入れられていたように思います。

フランスでの生活は、期限がないので価値観の相違により敏感です。
その話はこちらに詳しく書きました。

アフリカでは上記の本にも登場する、フランス人の今の夫に出会うことになり、結局3年いました。
あの3年の生活も、計12年になるフランスの生活も、日本にいたある日の思い付きと偶然がなければ、始まっていなかったのかもしれません。

日本にいた時にも好きなことをしていたこと、先のことを考えずに直感に従ってアフリカに発ったこと、全く後悔はありません。

海岸でハディジャと

もし、将来について悩まれていること、迷われていることがありましたら、「どっちを選んでも後悔する可能性はあるとして、どっちを選択する自分が好きか」とご自分に質問してみてください。

そして、一歩だけその方向に踏み出して、その時に嬉しいのかそうでないのか、気持ちに聞いてみるといいと思います。答えは自分の中にしかありません。

この投稿のために久しぶりに当時のアルバムを出したら、たくさんの思い出がよみがえりました。
今の視点で改めてアフリカの日々を振り返ることによって、フランスとも比較しながら、違うものが見えてくる気がします。

今日は金曜日。明日はなにをしよう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?