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なんかヘンな宣言みたいなもの

ちょっと調べたいことがあって、はてなブログの自分の記事を見ていたら、画像が表示されなくなっていたり、画像の代わりに変な広告の文言が入っていたりと、よくわからないことになっている記事があった。どうしたものかなあ。

それはそうと、ブログ記事をいくつか読んでみて、なんか以前の方が映画を真摯に観ていたような印象を持った。大したことが書いてあるわけじゃないけど。

映画を観る本数は少し減ったかもしれないけど、以前だってそれほど観ていたわけじゃないから、それは大した問題じゃない。

思うに、以前は映画のことや映画についてもっと考えていた。今はドラマを見るようになって空き時間は大抵何か見ているけれど、以前はそういう時間に、ぼんやりとではあっても映画のことを考えていた気がする。

考えていた、の中身は、特定の映画のことであったり、作家のことであったり、あるいはもっともっとぼんやりと、映画そのものについてであったり、逆に具体的に次に観たい作品のことであったり、さまざまだったと思う。でもとにかく映画にまつわることを結構考えていた。

普段そうして考えているからこそ、実際に映画を観たときに見えてくるものや胸に刺さってくるものが違ってくるんじゃないだろうか。

もっと言えば、必ずしも映画のことじゃなくてもいいのかもしれない。何かについて考えるということが、考える時間が大事なんじゃないだろうか。

って、それ当たり前でしょ。恥ずかしいな。笑
当たり前だしわかってることだけど、近頃の自分を省みると、ほとんど何も考えてなかったなと。ひたすらドラマ見てた。つまらないのも含め。

なので、もうこれからは「なんとなくダラダラとドラマを見る」のはやめにします。なんかどうなのこれ? とか、いやーもういいわそれ、とか、あーまたそれか、とか思いながら、それでも見続けたりするのはやめる。笑

ドラマって、うーんなんかどうも、と思っても、長いだけに、先に行ったらなんとかなるのかも、みたいな期待とともについつい見続けちゃったりするんですよ。私だけかもしれないけれども。
それで結果なんとかなる場合もなくはないんだけど(なんともならなかった場合は見続けた自分を少し呪うよね)、でもそこへたどり着くまで耐えるかどうかっていうのは悩みどころなんですよね。

でもそこ、悩まないことにします。

もうドラマとの蜜月は終わり。倦怠期っぽい付き合い方で行きます。
それでもっと考える時間を作る。

日本のテレビドラマは今と同じようなスタンスで、まずいくつかピックアップして見始めて、合わなかったら見るのバンバンやめてく、っていう方法で行く。
配信ドラマは、頑張ってまでコンプリートしようとしない。もうとっととギブアップする。

っていうか、そんなの当たり前? 今までの私がおかしかった?

たぶん恋みたいな感じだったんでしょうね。いやーほんとそうだわ、恋。それで失敗したりしてるじゃん、過去に。笑。一事が万事ってこういうことか。

あ、ドラマとの蜜月は終わりますが、noteのタイトルはこのままで行きます。記事の頻度的にはやっぱり「ドラマ、ときどき映画」になると思うので。

ドラマと映画の何が違うって、やっぱり密度かなって思う。密度が濃いものの方がそれについて考える密度も濃くなるし書く負担も大きい。いきおい書く頻度は下がる。しかしそれだけに、自分にとって書く意味も大きいし、自分が書いたものが自分にもたらす影響も大きい。映画を観たりそれについて書いたりすることは、一種の娯楽ではありながら、自分にとって切実なことだったりもするんです。

ってなことを、昔のブログを読んで思い出したというわけでした。

まとまりのない独り言みたいなものを最後までお読みいただきありがとうございます。




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