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親は愛すべき存在じゃなくて、愛してもいい存在。

先日、ある発信をきっかけに、音声配信のstand.fmで「家族について」の収録をした。

今は亡き母と私はとても仲良しで、とっても大好きで大切な存在。

ただ、実父とはあまりいい関係ではなくて。
暴力を振るわれたわけでもないし、きっと父から愛されて育った。
外から見たらとても恵まれた家庭環境で育ち、その環境を作ってくれたのは紛れもなく父だったんだけど。

それでも、父といい関係を築くことはできなかった。
公の場では言えないような苦い経験や小さなすれ違いが、覗くのを躊躇うような深くて暗い修復できない溝を作ってしまった。

そんな中でNASAの家族の定義を知って、すごく救われた。
そんな話をスタエフで喋っている。よかったら聞いてみてね。

私のこのスタエフをきっかけに発信してくれる人がいてくださって、とてもとても嬉しくもあり、「家族ってなんだろう」って改めて考えるきっかけになった。
(きっかけを与えてくれたやむちゃん、発信してくれたギバーさん、ゆちちゃん、ありがとう!そしてコメントやいいねをしてくれた人たちもありがとう!)

noteで絶大な人気がある作家の岸田奈美さんを知っているかな?
私は岸田奈美さんがずっと大好きで、ずっと応援(課金)しているよ。

この岸田奈美さんの言葉たちを笑いなが読み進めていると、目から言葉にならない想いの成分を含んだ涙がポロポロ溢れちゃう。
もう何年も前から何度も読んでいるのに。

私は母のことを、母だから愛しているんじゃない。
母という人間がたまらなく愛おしいから。その愛おしい存在が、たまたま母だった。

家族だからじゃない。

家族って、愛おしくて、憎たらしくて、厄介で。

血が繋がってるし、家族というグループで社会的にまとめられてしまうからこそ、愛せないこと、大切にできないことに罪悪感を抱きやすいよね。

だからこそ、私はNASAの家族の定義に救われた。

そして、母のことも、パートナーのことも、娘のことも、家族だから愛しているのではなくて、彼らだから愛しているし、それがたまたま私の家族になってくれた、ただそれだけだった。

家族は、血の繋がりじゃなくて、心の繋がりだと信じてる。

もちろん、血が繋がっているからこそ感じれる愛情もあるのかもしれない。
(顔が似てるから、とか。)

でも、心の繋がりは血の繋がりを超える時がたくさんある。

NASAの定義では、親は家族ではない。
そうなると、私は娘にとっての家族ではないんだけど、それでいいと思っている。

寂しいけど、それでいい。
でも、「ママもパパも家族だよ」って大人になっても言ってもらえるように、娘と心が繋がれるように努力だけは全力でしていきたいなって思ってる。

世界の常識が日々変わっていく中で、家族という価値観がたくさんあっていいし、自分なりの家族という定義を持っていい。

人生、持てる荷物の数は限られているから。
たくさん持っていては、遠くに行けないから。

本当に大切なものを、思う存分大切にして生きていこうね。


▶️やむちゃんのスタエフ

▶️ギバーさんのスタエフ

▶️ゆちちゃんのnote


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