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2024/03/19(火)の日記「NASAの家族の定義と、私にとっての家族」

「マーマー!!!食べないでよー!!!」

朝方、寝室に響く泣き声に、浅い眠りの中にいた私は叩き起された。

声の主、2歳の娘の顔を覗きこめば、うるうるの目から涙をこぼしてもう一度訴えてきた。

「食べないでよぉーー!!」

「へ?」

たった今起きたばかりの私は文字通りキョトンである。

「なになに、ごめんね?」

お腹をトントンすると、そのまま、娘は再び眠りに落ちていった。



時計を見ると6時10分。

ちょうど私が起きなければいけない時間だった。

まだ布団に潜り込みたい気持ちと戦いつつ、絡みつく息子の腕をそっと退けて、布団を出た。

夫と娘の寝言について笑いあい、朝ごはんの準備をする。

似たようなことがあったな、と、随分昔のことだが割と鮮明に思い出していた。

年長くらい?小一くらいだったか。



「なんでバナナ食べちゃったの!!!」

私は怒りで頭がいっぱいだった。

私の大事に取っておいたバナナが、なくなったのだ。

この怒りを伝えなければ!
部屋を飛び出して、キッチンの冷蔵庫の前にいた母に、思いっきり泣いて怒った。

「私のバナナだったのにー!!!」


「…寝ぼけてるの?」

母の訝しげな顔に、私の怒りは急速にしぼんだ。

ようやく自分の失態に気がついた時には、恥ずかしくて顔が火がついたように熱くなっていた。

たぶん耳まで真っ赤だったのだろう。

当然母は大笑いだ。
何だ何だと集まった家族にも笑われたことを覚えている。

なんで、夢でバナナにあんなに怒ったのか、謎である。
ケーキならともかく…。
この事件は未だに家族の中で笑い継がれている。



家族ってなんだろう。

昨日から1日中考えていた。

きっかけはサキさんのstandFMだ。

NASAの家族の定義に救われたことについて話してくれている。

初めて知った。

詳しくは是非、サキさんのstandFMを聴いて欲しい。


かなり端折って言うと(端折らない部分も知って欲しいのでやはりサキさんのスタエフ聴いて欲しい)、
NASAの定義では、家族とは自分で選んだ人なのだそうだ。

パートナーは、自分が選んだ人だ。
だから家族。

子どもも、自分が育てることを選んでいるから、だから家族。

親はどうか。

どの親から生まれるか選ぶことはできない。NASAの定義では、親は家族ではないのだ。



私の両親は、躾をしっかりしようとする親だった。

周りに話せば、厳しい親だねと言われる親だ。

時間に遅れることは何よりも怒られることだった。
5分前とかではなく、30分前とか、早ければ早いほど良かった。
門限が厳しくて、高校では部活をすることは諦めた。

片付けが苦手な私はいつも怒られていた。
怒られた時にすぐ涙が出ることも泣き虫は嫌いだと怒られた。

食べ物の好き嫌いを言おうものなら夕食は抜きになったし、流行りのテレビやアニメはほとんど見させてもらえなかった。

テストは70点だと本気で将来を心配され、80点だと諦めたようにため息をつかれ、99点はなぜ1問だけ間違えるのかと怒られ、100点を取れば次も取らなきゃ意味が無いと言われた。


こんな親だが、私は愛されていたと思う。

小学5年生の時、ある子に標的にされて、教科書を捨てられたり、靴を捨てられたり、カバンを捨てられたりする日々が続いた。

机に罵詈雑言を書かれて校庭に捨てられたこともある。(よくあんなの運んだなぁ。)

そんな時に母親は、その子を庇う学校に立ち向かってくれたし、中学受験をしてその子から離れることも応援してくれた。

父親も、何があっても自分たちはお前の味方だと言ってくれた。



私はそんな親の言うことをある程度真面目に聞いていた。

そこまで優等生ではなく、親への反抗もそれなりにしたのだけれど。

それでも幼少期に植え付けられた価値観は強固に根を張っていた。

両親は自分たちがいつも正しいと主張していたし、私もそんな両親を信じて長いこと生きていた。



その価値観は、私が高校で出会う、親友と後に夫になる人、この2人によって壊されることになる。

長くなるのでその話はまたいずれ。

ようは、彼らは非常に自由でおおらかな人種だった。



私は大きく戸惑った。

絶対正しいと思っていた両親が実は間違えていたり、他の家の常識と自分の家の常識が大きく異なっていたり。

いわば文化の違い、カルチャーショックである。



夫と暮らすようになって見えた素の自分は、両親とは全然違った。

両親は、全然違う性質の私を、自分たちの思う正しい道に入れようと必死だったのだろう。



ただ、両親の尊敬できるところは、大人になった私の意見を聞く耳を持っていたところだ。



私は両親に、無謀にもカルチャーショックについて語ったのだ。

そして、両親は、全部ではないが受け入れてくれたし、理解を示してくれた。

もしかすると諦めただけかもしれないが。

それから私と両親は、親子として、仲良くなれたように思う。



大変だったのは、息子のことだ。

息子は、両親からしたら、可愛い孫であると同時に非常に理解し難い生き物だった。

一言でいえば、躾のできていない子、だった。

なんせ、片付けない、気持ちの切り替えができずに暴れる、好き嫌いが多い、座って食べられない、スーパーは走り回る、駐車場は飛び出す、とにかく、誰の言うことも聞かない。



私は、躾をするのは親の役目だと、コンコンと怒られた。

私は、泣いて暴れる息子を抱きしめながら、泣きながら息子を叱った。

母親も、私を叱りながら目を赤くして泣いていた。



その一年後、自閉スペクトラム症とADHDであることが分かった。

母親はその時のことを謝罪してくれた。
なんて馬鹿だったのだろうと、謝ってくれた。
そして、今も理解しようととても努力してくれている。

父親も、まだ少し厳しさはあるが、私の時に比べたら雲泥の差で優しい。
父親なりに、孫を理解しようとしてくれているのだ。



人間だから間違うこともある、でもそれを認めて、謝って、変わろうと努力できる親世代の人は、なかなかいないのではないか。



私にとって家族は、第1に夫と息子と娘。

でも次に両親も、家族だなと、思える。

反面教師な面もたくさんあるけれど、共に成長していける愛すべき人たちだ。

彼らの元に生まれて良かった。

だから、私は両親を、家族に選ぶ。





私は、いま、息子と娘にかなり愛されている。

毎日2人に取り合いされているし、2人とも大好きぎゅーっとしてくれる。

2人とも「ママママママ!」と呼んでくるので、マママ星人1号、2号と名付けている。


そんな彼らが大人になった時にも、私を家族に選んでくれるだろうか。

選ばれるような親でありたい。






7時を過ぎて子どもたちが起きてきた。

「娘ちゃん、どんな夢見たの?」

娘は、何を聞かれたのか分からないといった顔で、いつもの困ったような眉毛で笑った。


「ママ、娘ちゃんのものを食べちゃったことあったかなぁー。とと(父)の間違いじゃない?」

私にはさっぱり心当たりがなかったのだ。


息子がすかさず指摘した。

「ママ、娘ちゃんのアイス食べちゃったことあるよ」


あー。あった。

娘が全部食べるには大きなソフトクリームを、パクンと半分食べたことが。


かなり泣かれてしまったっけ。。。


子どもたちに家族として選んでもらう親修行は、まだまだこれからである。

娘のアイスをかじることは二度としない。


心に誓った朝だった。


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