今、出来る、精一杯。

舞台「今、出来る、精一杯。」の映像上映を渋谷ユーロライブにて観劇してきました。

記憶に新しいうちに感じたことをぶわぁぁあああっと書きます。



人は誰もが世界の中心で、自分の正義が正しいと信じて生きている。


印象的な台詞の1つに
「生きにくいのはあなた(安藤くん)だけじゃない」
という言葉があった。

みんなある種の生きづらさを抱えていて、上手くできないを積み重ねながら生きている。
簡単には言えない過去の苦しみや、上手く生きてる風を装うための嘘がある。
なんとか取り繕って、「私は普通ですよー」って顔して生きている。
そういう人に支えられた国がここ日本だ。

生きていくために、自分の生きる世界の中心に自分を置く。
何を言って何を言わないのか、どこまでが嘘でどこからが本心か、倫理的に正しいのかそうでないのか、他人が喜ぶことをするのか傷つくことをするのか、他人の言う通りにするのかしないのか、全ての選択は自分で行わなければならない。選択を委ねることもまた選択だ。
自分で選んだことだから、それは自分の世界では正しいことで、他人がどう思ったってそれは自分の正義だ。
そうやってみんなが自分の正義で生きていると思うと、なんだか愛おしく思えてくる。
生きるか死ぬかも選択で、今生きるを選んでいるあなたも私も美しい。

他人のことなんてわからない。
その人を作るものはその人が過ごしてきた全ての時間、全ての経験、見てきた全てだから、完全にわかることなんて無理だ。
たとえそれが肉親であっても無理なものは無理。
だから言葉を交わす、感情をぶつけ合う。
あなたのことが大切で、知りたいと、わかりたいと思うから。

出会った時は器用に上手く生きているように見えたかもしれない。何も考えてないように見えたかもしれない。
でもそうじゃない部分だってあるから。
不器用で醜い部分だってあるから。
そこまで大切に抱きしめたいし抱きしめられたい。
醜く感情を晒して、ぐちゃぐちゃになって、まただめだったかを繰り返しながら共に生きる人を探していく。
だめを認めて立ち上がる。

せめて大切な人のことだけはわかろうとしたい。
完全にわかるわけなんてない、ってことをわかりながらわかるための努力をしたい。
わかろうとしてくれるあなたがいるから、私は今日も生きられる。
取り繕っている皮を剥いであなたと向き合い、あなたの皮も剥いでいく。
あなたの精一杯に精一杯応えて、互いを生き延ばしていきたい。


今日出会ったすべての人がまた明日も生きられますように。
生き延ばして生き延ばして、許し合える場所へ帰ってこられますように。

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