すずめの戸締り

以下ネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。














あの大震災を扱ったフィクションものを初めて観た。

決して忘れてはいけないことだけど、どこか腫れ物のように扱われてきた。
報道やドキュメンタリーで目にすることは多々あれど、物語の中に組み込むことは茶化しているように捉えられてもいけないし、かなり神経を使っただろう。
皆に伝わるという利点はあれど、実際に起こったことを扱うには相当の覚悟が必要だったはずだ。

12年という歳月が、4歳の少女が高校生に育つ程の歳月が、エンターテインメントに落とし込むという行為を許したように思う。
エンターテインメントだからこそ、広く観られ、広く思い出されるきっかけになる。伝えていくための大きな一歩だ。
社会的な意義があるだけでなく、実際の出来事とリンクする点を感じられることでファンタジーながらも現実感があり、より作品に没入させられた。

フィクションだから、と言ってしまえばそれまでだが、彼女が町を飛び出して出会う人々が皆、温かくて良かった。
幼少期にあまりにもつらく苦しい経験をした彼女の周りがひたすらに温かかったこと、そんな世界線もあるという希望を感じさせてくれた。
人を想う真っ直ぐな気持ちと覚悟の目が周囲を温かくさせたのだろう。純粋な想いは連鎖する。

里帰りの車内での懐メロが印象的で、当時人々の心を救った音楽たちが思い起こされた。
音楽を大切にしている作品だ、というイメージがあるからこそ、余計に印象に残ったのだと思う。
昔からある曲の安心感が、作品の世界が遠い話でないという親近感も与えてくれたように感じる。


「大事な仕事は見えない方がいい」
その言葉に救われた。
当たり前を当たり前にするために力を尽くしている人がたくさんいること。
その当たり前を作っている人にしか見えない景色をすずめとともに見ることで、誰かの努力の上に成り立つ当たり前だということに気づかされた。

こうして過ごす何気ない一瞬だって、誰かにとっては悲しいことがあって、他の誰かにとっては嬉しいことがあって、また別の誰かにとっては感情の動かない時間であって、そうやってすべてが同時並行で進んでいく。
何も起きていないかのように均衡は保たれていく。
あの日だって、私は何事もなかったかのように学校にいた。

どんな一瞬も、誰かにとっては特別だということを忘れずに一分一秒一瞬を生き延ばしていくこと、一瞬を特別にしていくことが大切だと思う。

自分の手の届くところにあるもの、目の前に現れたものを大切に、大切にできる余裕を持って生きていきたい。

誰かの努力の上に成り立つ当たり前に感謝しつつ、明日も当たり前を作りながら生きていく。


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