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君たちはどう生きるか 感想

以下ネタバレを含みますのでご注意ください。












映画「君たちはどう生きるか」を観てきました。
様々な人の考察の中で、宮崎駿監督の半自叙伝ではないか、アニメ業界の現実について隠喩しているのではないか、といった裏に隠された意味について語られています。
しかし私は、お恥ずかしながらあまりジブリ作品のことを知らないですし、映画館で観たのは今作が初めてです。
金曜ロードショーで放送されているのをいくつか観たことがある、程度でもちろん宮崎駿監督の経歴など知りません。
そんな私が、ストレートに本筋だけを観た感想を綴っていきます。



現実の苦しみ


戦時中の物語ではありますが、戦争の描写はほとんどありません。
主人公は裕福で、戦争のため苦しい生活を余儀なくされた、というわけでもありません。
しかし、学校で出会った子どもたちや女中たちの姿から、大半の人たちの生活は苦しいのだ、ということは察せたと思います。
彼の視点は戦争を知らない私たちに近いのかもしれません。
もちろん、彼は母親を亡くしているし戦火も見ているので私たちほど実体験が伴わないわけではありません。
しかし、食べるものに困ったり、身内を兵隊に取られたりしていない彼にとって、戦争はどこか他人事で「大変な人たちもいるんだな」という程度の感覚なのではないでしょうか。
学校の子どもたちを見ても自分がその立場になるとは思っていない、そんなところが私たち現代人に近いのではないかと思いました。

そんな彼の苦しみは母親の死でした。
しばしばトラウマのように頭によぎっては心を痛めていました。
父親がもう立ち直っているように見えることにモヤモヤを感じていたはずです。
その上父親が母親の妹に恋をしていることも納得がいかなかったと思います。
父親はきっと亡くなった母親に姿を重ねていたのでしょうが、息子にとっても重ねられる母親の妹にとっても、辛く苦しいことだったのではないでしょうか。

ほとんどの時間をお屋敷で過ごす主人公にとって、屋敷内の人間関係は強いストレスでしょう。
そんな彼の心は、母親の存在を仄めかすアオサギに強く掻き乱されていきます。



別世界での出会い


アオサギに連れていかれた別世界は、捕食する側とされる側が入れ替わった命の危険のある世界でした。
人間を食べるインコや人間の素となるわらわらを食べるペリカンなど、鳥と人間の関係が入れ替わったかのような世界です。

一見人間からしたら最悪な世界ですが、そこで出会う人間たちはみな助けてくれるいい人でした。
出会って間もない彼を助けてくれたり、人間の命を繋ぐためにがんばっていたり、捕食される側でも懸命に生きていました。

命の危機に瀕することもありましたが、そこで出会った人々やアオサギの協力で乗り越えていきました。
傷つく場面もあったものの、人と協力し自分の力で前へ進んでいったこの経験は悪い思い出ではないはずです。



最後の選択


この作品の鍵は主人公の選択でしょう。
彼には現実に帰るか別世界に残り自分の世界を作るかの選択が迫られます。

戦争が行われ、母が死に、新しい母親には納得できず、学校ではいじめられ、他のみんなとは違う家庭環境で育っている。
そんな人間の悪意や理不尽、不平等が待っている現実。

捕食される側の恐怖はあれども、人が温かく協力的で、自分の力でできることが多い。
その上自分で新しい世界にしていけると言われている別世界。

それでも彼が現実世界に帰ることを選んだ、という選択が彼の成長や家族に対しての愛情を表しており尊いのだと思います。



平和を生きる私たちに、その重みはわからない


私たちは戦争を知りません。
だからこそ、主人公の選択の重みは本当の意味ではわからないのだと思います。

正直、私がこの映画を観た感想はあまり面白くない、でした。
数々の考察で述べられているような、宮崎駿監督の半生やアニメ業界のことなど、裏に隠された隠喩を考えれば面白いなと思います。
しかし、本筋のストーリーだけで考えると、語り尽くされたメッセージのように感じられ、新たな気づきを得ることはできませんでした。
命の尊さや、人は自分の置かれた環境からしか物事を見られていないこと、自分を大切に思ってくれる人がいること、1人ではできないことがあること、それでも助けてくれる人がいること、様々なメッセージを受けることはできても、そこに新鮮さは感じられませんでした。
また、少しの説教臭さも感じました。
そんなの今さら言われなくてもわかってるよ、というような。

でもそれはきっと、どこか他人事のように思っているからかもしれません。
頭ではわかっているけれども実体験が伴っていない。
主人公は別世界に行くことで、自分で動き、実体験を得られたために最後の選択をするのことができたのでしょう。
そう考えると、本当に伝えたかったのは
"いろんなことを経験しなさい"
ということかもしれません。

どんな裏の意味が込められているのか、誰に何を伝えたかったのかはわかりませんが、この夏にどう生きるかを考えられるきっかけをもらえたことは良かったと思います。



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