自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子㉓
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社会人時代編2 ダイジェスト(1830字)
・身の振り方、光射す方向は
・組織の中で働くということ
働き方改革だ、効率化だと言っておきながら根本が変わらないことに、僕は嫌気が差していた。
もちろん、ただ文句を言っても仕方がない。どうなったらよくなるか。皆が楽に仕事が出来るかを業務時間外に考え、東日本の営業拠点がある東京への出張会議で提案してみることにした。
まず何が僕らの時間を奪っているのか。何が変えることが出来ないことなのか整理することから始めた。
時間を奪っていることの第1位は電話だ。仕事を中断させられるし、製品の性質上、カタログ、図面、合わせて専門的な知識の共有がなされていないと説明が上手く行かないこともある。これは各個人の頑張りだろう。極力、メールで貰うことにすればトラブルも減る。客先への周知徹底からやっていこう。
第2位は社内調整だ。
1つの案件で、社外でやり取りしなくてはない相手は大勢いる。そして、社内にも。社内に関しても電話での問い合わせがメインで、込み入った話になるとメールで資料のやり取り、WEb上で打ち合わせなどこれも非常に骨が折れる。せめてこの部分の負担を減らせないだろうか。
例えば、必要な部品、製品が分かっているのに納期、仕様の確認や発注の段取り、これを部署間(細かく分かれている生産管理の担当、機械設計や電気設計、場合によっては工場長など)を跨いでしなくてはならないというような非常に非効率な状態の現状だった。
目指すは1本化したシステムの構築。
細かい仕様の設定は僕では出来ないので案だけでも投げてみよう。
某通販サイトのように、必要なものを各個人のアカウントと紐づけて、生産拠点とやり取りをする。これが出来れば社内でのやり取りの往復が大幅に減る。
しかし、この提案は支店長に「検討はしてみるけど、無理だと思うぞ」と一蹴されてしまった。後々に聞いた話だと、以前の記事でも書いたが古い体質の企業なのだ。営業サイドは新しいものを吸収し、社会を渡り歩いているが、生産拠点ではなかなか受け入れられない。権限を持っている人間が軒並み年齢層高めということもあるのかもしれない。そういった背景もあり、難しいということだった。(結局、この提案自体なかったことにされたようだったが。)
もう馬鹿らしくなってしまった。
やり方を変える必要性は火を見るよりも明らかなのに、それを決めるのはお前ではないと言われているのだ。
組織と戦う、組織を変えることが出来るのは半沢直樹の世界、ドラマ、小説、映画の中では、十分にあり得るのに、僕の小さな提案は受け取ってすらもらえない。
それからは自分が出来る限り、会社の方針に則って可能な限り喰らいついた。やりがいはあったし、業界では数少ない若い世代の顧客には支持してくれる人も多くおり、結局その企業には4年弱を務めることが出来た。
その後はなんとなく会社に対しての不信感というかしこりが残ったままの状態が続き、僕に対しても転勤の打診があった。表向きは母体拠点で頑張ってみないか?というものであったが、内情を知ってしまっているだけに少し考える時間が欲しかった。
しかし、次の瞬間に僕は度肝を抜かれる一言を掛けられる。
「今週末には辞令として出ちゃうんだけど、いいよな?」
んなあほな。話を持ち掛けられたのが水曜日。
あと1、2日で決めなくてはならないようだ。ここで察することが出来た。
何をそんなに急いでいる?また、欠員か。と
僕は初めて組織というものに面と向かってNOを突き付けた。
その後はお察しの通り。
実力があれば、自分で有利な選択肢を冷静に選んでいける。
一匹狼でこの会社でやっていくことも。僕には実力が不足していた。
会社に歯向かった時点で、心は決まっていた。
とはいえ、僕の所属する営業所自体が人不足だ。さらにベテラン3人でなんとかなっていたところが、今は新米3人だ。
せめて、新米事務員さんが独り立ちし、新米所長が慣れるまではこの人たちに残せるものを残していこう。残されたものが何一つなく、僕自身が本当に困った思いをした。そんな思いを少しでも失くしてから行きたい。
入社して3年が経つ頃だった。そこからは引き留められ続け、10か月後に僕は退社した。
そして、現在に至っている。
つづく?
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