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なぜ教科書が読めないのだろう?

新井先生の講演を聞きました。

新井先生は、東ロボ君プロジェクトを推進されていた方です。

講演内容は、下記の書籍がベースになっています。

https://www.amazon.co.jp/dp/4492762396/

講演の中で、下記のようなお話がありました。

2で割りきれる数を偶数、それ以外の数を奇数と言います。
下記から、偶数を全て選びなさい。
① 8
②110
③65
④0

※選択肢はうろ覚えなので、講演時と微妙に違うかもしれません。

答は①②④です。

ポイントは④の0 を選べるかどうか。

中学生の正答率は3割、高校生で5割とのこと。

同様な例を多数提示されて、他と含めての結論は、

公教育のミッションは、中学校卒業までに教科書を読めるようにすること

どうすればいいのか?については、講演では具体的なお話しはありませんでした。

なぜ教科書が読めないのか?

このことが、講演を聞いてから頭の中でぐるぐる回っています。

思い当たるのはただ一つ。

つまらないから

教科書はつまらないのだと思います。

多くの子供は、マンガは喜んで読みますよね。
それは楽しいから。

格闘ゲームの多数の技やコンボを覚えますよね。
それは楽しいから。

遊び以外は楽しくないのでしょうか?

小さい子供は、字が書けるようになりたくて、たくさん練習します。大人から見ると、ひらがなが並んでいてなぞるだけの面白味の無いドリルを一生懸命やります。

それは、楽しいから。

本来、新しいことを覚えることは楽しいはずです。

それが、いつの間にか苦痛になっている。

これはなぜか?

私は、出来ることが楽しい、になっているからだと思います。

つまり、出来ないことは楽しくない。つらい。

そうではなく、学ぶことが楽しい、に変えていかなければいけません。

出来たという結果ではなく、
学ぶというプロセスを楽しむ。

そのためにはどうするか?

私は、教える が大事ではないかと思います。

近年、アクティブラーニングが注目され、導入が進んでいます。子供同士が自ら考えて話し合う。その中では、自然と自分の考えを伝えることになります。

自分の意見を伝えること。これって教えることと等価ではないでしょうか?

じゃあ、アクティブラーニングしか答は無いのか?
普通の教科では出来ないのか?

普通の教科でも、学びの分かち合い、という形は取れる可能性があると考えています。

例えば、下図の②や③の領域。これが学びの分かち合いで有効な領域。

しかし、この領域を見つけることは、残念ながら子供同士では困難です。

大人でも困難です。

教えるのがうまい先生というのは、どこを子供が楽しんでいて、どこを飽きているか、を把握できるのでは?

そして、子供が楽しめるように、教え方やコンテンツを変化させていたのでは?

良い先生にできていたこと。これを誰でも、子供でも出来るようになったら世界は変わります。

ここにこそ、テクノロジーを入れるチャンスがあるのではないでしょうか?

AIに仕事を奪われないためにAIを使う。

こういうテクノロジーの使い方を目指したいです。

※この記事の表紙画像はキイロイトリさんによる写真ACからの写真を使用しています。

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