クリスティーヌが渡した指輪の話

「劇団四季のオペラ座の怪人は凄いらしい」というキャッチコピーを見るたびに「秀逸だな」と思うと同時に「ちょっと謙虚だよね」と思う。らしい、じゃないよ？凄いよ？オペラ座の怪人。

このミュージカルはオペラ座に棲む怪人ファントムと歌姫クリスティーヌ、その幼馴染であるラウル子爵が織りなす恋物語にオペラ座の面々が巻き込まれどったんばったん大騒ぎな様子が描かれている。凄い。死者も出る。散々である。

物語はクリスティーヌとラウルが結ばれる形で幕を下ろすがそれはまぁいい。
私はクリスがファントムに渡した指輪のことがずっと気になっている。

物語のラスト、オペラ座の地下にある怪人の隠れ家で「私を選ばなければこいつを殺すぞ」とファントムはラウルの首を絞めながらクリスティーヌに迫る。
そして「これが私の心」とクリスティーヌにキスをされたことで心を動かされ、「ここから出ていけ」とラウルとクリスティーヌを追い出す。
二人は一旦その場を去るが、ほどなくしてクリスティーヌだけもう一度ファントムのところに戻り、指にはめられていた指輪を彼に渡す。
「クリスティーヌ、アイラブユー」
ファントムの消えそうな告白に何も応じずその場を去るクリスティーヌ。胸にくる場面だ。

この指輪は直前の劇中劇『ドンファンの勝利』のラスト、無茶苦茶になった芝居の中でファントムが「共にどこまでも二人で、クリスティーヌ、きみが全て」と一方的なプロポーズをしながらクリスティーヌにはめたものだ。

その指輪をクリスティーヌがどんな気持ちで返したのか私には分からない。
「受け取れないわ」なのか、はたまた「心はいつもあなたの傍にいるわ」なのか。

ただ、その指輪は元をたどるとラウルがクリスティーヌへ渡した指輪なのである。

一幕ラスト、ラウルがクリスティーヌにこの指輪を贈り、プロポーズする。
クリスティーヌはそれを受ける。嬉しさが昂じたラウルはクリスティーヌを抱き上げぐるぐる回してキャッキャして口づけを交わす。我が世の春だ。

しかしファントムに知られるのは良くないと思ったクリスティーヌはそれを内緒にしようと指輪をネックレスにして胸元にしまい、「人に言ってはダメよ」とラウルと口裏を合わせるが、そもそもファントムはプロポーズの現場を盗み見ていたので時すでに遅し、二幕が始まってすぐにこの指輪は奪われる。

そして前述の通り劇中劇ラストでファントムからクリスティーヌの指にはめられ、最終的にファントムの手に渡って終わる。

ラウルが一世一代のプロポーズの為にクリスティーヌのために用意した指輪はラウル発、クリスティーヌ経由で最終的にファントムの持ち物になるのだ。

ラウルのことだ、「クリスティーヌにこのオペラ座で再び会えたのは結ばれる運命だったんだ！するぜ！結婚！」くらいのテンションで、断られることなど微塵も考えずにウッキウキで指輪を作り、ウッキウキで贈ったに違いない。

しかし最終的にその指輪は恋敵のものになる。
しかもフィアンセから手渡しで。二人の濃密な思い出を孕んで。
これは辛い。結構なお値段しただろうことも辛い。

しかもファントムにキスをする時クリスティーヌはウェディングドレスを着せられ薬指には件の婚約指輪が光っている。
恋敵の手によって自分のフィアンセが花嫁として仕立て上げられた姿で自らキスをしているのだ。

一方でこの時ラウルはクリスティーヌを助けるために怪人の隠れ家へ乗り込んだものの、まんまと怪人に捕まり首を吊られて身動きが出来ない状態だ。
その上でこのキスで恋人に命を助けられているのだからたまったものではない。ダメージが大きい。

そのあとファントムに解放され、これで一安心と思いきや恋人は怪人のところへ一度戻るのである。
ウェディングドレスを着て指輪をはめたフィアンセが土壇場で自分に背を向けて先ほどキスした相手のところへゆく。もう気が気じゃなかっただろうと思う。

ほどなくして戻ってきたクリスティーヌの指から指輪が消えていることにも気づいただろう。
自分のところに戻ってきたとはいえ、このフィアンセの心が自分の傍にあると思い続けることはできたのだろうか。あのプロポーズの時のように、抱きしめればそこにクリスティーヌを感じることができたのだろうか。

このミュージカルは年老いたラウルがオペラ座に関する物をオークションで集めていることが分かるシーンから始まる。傍にクリスティーヌの姿はない。

もしこの指輪がオークションに出たら、ラウルはやはり手にするだろうか。
そしてその指輪から起想するのはなんだろう。クリスティーヌの記憶なのか、ファントムの記憶なのか。

私ならどうするだろう。
指輪は落札すると思う。
手元に置いておきたい、というよりはもう一度、この手の中におさめてみたいという気持ちで。
そしてとりあえず一度、力の限り強く握りしめて「バーカ！パーカ！」と罵るだろうな、と思う。
クリスティーヌにとも、ファントムにともなく。