見出し画像

日本ワイン考

晩秋の夕暮れ、ささやかに今年の収穫を祝うワイナリーを訪れた。

広がる甲府盆地を目の前に、ベーリーAから出来た山梨ヌーボーをひと息に飲み干すと、今年一年分の生産者の汗を飲んだような気分であった。コロナの影響で飲食店向けの出荷が落ち込むだけでなく、天候も雨が多く、ぶどうの収穫量が少なかったという。

それでも、ベーリーAらしい独特の香りが溢れた一杯は、しっかりとその年を刻んでいた。

今回は、ここ山梨の地で日本ワインについて記したい。

1 日本ワイン飛躍の前夜

日本のワインの歴史はわずか150年前に始まった。
世界のワインの歴史は7000年。ほんの10年前まで、日本のワインの品質はとても世界で戦っていけるものではなかった。

まず、日本における「国産ワイン」の約8割が外国産原料を使っていた。

国税庁の統計によると、「国産ワイン」とされるものの約1割はバルクワインである。南米などから安価なワインをバルクで輸入し、そこに日本のワインをブレンドし瓶詰めし「国産ワイン」として販売していた。

そして、驚くべきことに、約7割は、濃縮マストと呼ばれるジャム状のブドウ果汁を輸入して、それを水で薄めて発酵させたものだった。世界を見てもジャム状のブドウ果汁から約7割の国産ワインを作る国など見当たらない。そもそもジャム状の果汁を薄めて作る飲料をワインと呼んでいたことに驚く。

輸入原料に頼らざるをえなかった背景には、日本にはワイン用ブドウを栽培する農家がほとんどいなかったことがある。

世界のブドウの約8割がワイン用品種であるのに対し、日本では伝統的に巨峰など食用品種が栽培されてきた。

「良いワインは良いぶどうから」というセオリーからはほど遠く、日本におけるワイン生産は、ブドウ栽培ではなく、醸造・加工に重きが置かれてきた。

ワインに対する規格・表示は、ヨーロッパのスタンダートから見ると約100年遅れであった。原料が外国産濃縮果汁であれ、輸入バルクワインであれ、国内で瓶詰されてラベルが貼られれば「国産ワイン」として売られたのだ。

一方、ヨーロッパでは20世紀前半にはワイン法が整備され、ブドウの栽培方法から熟成法、ワインの製造にいたるまで、厳しい基準をクリアしたワインにだけ、ラベルに生産地を書くことが出来る。日本では、2年前に「日本ワイン」の表示に対する法律が生まれた。日本のワイン造りは、ヨーロッパに対して100年遅れの法規制のもとで行われていたのである。

2 日本ワインの飛躍

一方で、フレンチ・イタリアンレストランの人気や食の欧米化の進行により、ワインの消費量は着実に増えていた。

こうした中で、日本ワインの品質向上を目指し、立ち上がる人々がいた。

まず最も重要な人物は「日本ワインの父」とも言われる、故・麻井宇介(本名・浅井昭吾)だろう。

彼は、自ら稀代の醸造家として現・メルシャン株式会社にて活躍し、日本ワワインの栽培・醸造技術の向上に大きく貢献した。また、社内外の後進の造り手の育成に熱心に取り組み、麻井氏の志と哲学を受け継いだつくり手たちにより日本ワインのレベルは飛躍的に向上し、今日の日本ワイン隆盛の時代が訪れる。

麻井氏がまず行ったことは、海外の技術や事例の綿密な研究であった。実際に海外のシャトーに足を運んで畑を見て、生産者と話す中で、「銘醸地」と呼ばれる土地は固定的でないことを確信した。

それまでは、メドックやシャブリなど、誰もが知る銘醸地は、地質や気候に恵まれてたが故に良いワインを生産し、これまでもこれからも銘醸地であるという、彼の言葉でいう所の「宿命的風土論」が通説であった。

しかし、実際にサンテミリオンを訪れると、土地は水はけが悪くぬかるんでおり、ロマネコンティのワイナリーの生産設備はいたって簡素であった。さらに、ニュージーランドの開墾から十年程度の畑から出来たワインをテイスティングした時には、ボルドーの一級シャトーの質を超えるような独特のタンニンの素晴らしい味わいを発見した。実際そのワインは初ヴィンテージからシンデレラワインとして世界的な名声を獲得している。

こうした経験から、麻井氏は、銘醸地は固定的でなく、銘醸地神話の呪縛にとらわれなければ、日本を含め非銘醸地であっても良いワインを生むことが出来ると信じ、日本ワインの可能性を引き出すべく力を注ぐ。

彼の志と知見を受け継いだ三人のつくり手は、自分たちをバローロボーイズにちなんで「ウスケボーイズ」と名乗り、文字通り人生をかけてワイン造りに取り組んでいる。

岡本英史は、会社を辞め、畑の隣に作ったプレハブに住み、生活費とブドウのためにアルバイトをして、来る日も来る日も畑に立ち続けた。彼のワインは、洞爺湖サミットをはじめ重要な会食でサーブされるワインとなり、有名レストランでも引っ張りだこになっている。

曽我彰彦は、実家がワイナリーだったが、父親と喧嘩をしてでもワイン用ブドウを育て始め、リュブリアナ国際ワインコンクールにて金メダル受賞など海外からの評価も得た。

城戸亜紀人は、ワイン農家に婿入りして、土地に根差したワインを丁寧に作り、今や入手困難なほど人気のワインとなっている。

こうした日本ワインの草分け的な生産者が中心となり、日本ワインの品質は飛躍的に向上した。

近年では、土地の独自性を生かしたワインの生産が進められ、今や日本ワインは世界の注目を集めている。イギリスの世界最大の国際ワインコンクールデキャンタ・ワールド・ワイン・アワード2019」では、甲州ワインがプラチナ賞を受賞し、ボルドーの権威あるワインコンクール「シタデル・デュ・ヴァン 2019」では、メルシャンから四品が金賞を受賞し、五年連続での金賞受賞となっている。

ほんの数年前まで輸入したジャム状ブドウからワインを作っていた国の驚くべき飛躍である。

3 日本ワインの未来

グラスの中に淡く光る白ワインは「甲州きいろ香」という。日本固有のワイン用ブドウ甲州は、「個性のない平坦なブドウ」と言われていた。研究の積み重ねにより、きいろ香ではその隠れた香りのポテンシャルを引き出したという。口に含むと上品な味わいが広がり、確かに和柑橘の香りがする。

しかし、ワインの面白さはこれだけではない。グラスをまわし、香りを嗅ぐようなワインの飲み方だけでは、ヨーロッパの飲み物の追従の域を越えられない。

ワインは、本質的には、風土を反映し、土地の食と合うように発展してきたのだ。「エノガストロノミー」という言葉が近年広まりつつあるように、土地の「エノ(ワイン)」と「ガストロノミー(食)」の組み合わせは、土地本来の個性を生かすことで真価を発揮する。

土地の恵みを等身大に楽しむというのは雑誌「1番近いイタリア」で最も伝えたいことであるが、技術の追求だけでなく、本質的にその土地の食を作るワインが、まさに日本ワインにも求められているのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?