自分がされて嫌なことは、他の人にもしない
こんな言葉がある。
この言葉から派生したであろう、こんな言葉がある。
「自分がされて嫌なことは、他の人にもしない」
どこで聞いた言葉なのかもよく覚えていないけど、僕はこれを大切にしてる。
本文:シャル。主人公。
〔〕:精霊さん。イマジナリーフレンド1号。
〈〉:妖精ちゃん。イマジナリーフレンド24号。
〈たしかに、よく言ってるわよね。……何がそんなに気に入ってるの?〉
とにかくわかりやすいこと。
「やっていいこと」と「やってはいけないこと」という区別が世の中にはある。
〈そうね〉
でも、僕は昔から、この違いがよくわからない子だった。
〈法律が基準じゃないの?〉
たしかにそれもある。
けど、法の及ばない部分もある。
個人の道徳観や倫理観なんてあやふやなものに頼らざるを得ない事例が。
〈まあ、たしかに〉
僕はあまり自分を良い人だとは思っていない。
けど、実は、良い人でありたいとは思ってる。
たぶん、良い人だと、気持ちいいから。
〈相手のため、とかじゃないの?〉
相手のため、って考えると、どうも押し付けがましく感じちゃって。
で、良い人ってなんだろうって考えたの。
なんだと思う?
〈素敵なことをしてくれる人とか?〉
そう。何か良いことをしてくれる人は、良い人だよね。
でも、その「何か」を察するのは僕には難しすぎた。
そこで発想の転換。
良いことをする人じゃなくて、嫌なことをしない人になろうって。
〈それで最初の言葉に繋がるのね〉
その通り。
嫌なことを他の人にしない。
その基準は「自分がされて嫌なこと」。
これならわかる。
だから、何かをするとき、これを自分はされて嫌じゃないかなって、考えてから行動する。
正直、これが万人に当てはまるわけでもないし、心に余裕がなかったら守れなくなるときもあるけれど、誰かとのコミュニケーションでどう対応しようか悩んだときの判断基準として、わかりやすいし覚えやすい。
すごく重宝してる。
〈あれ? だったらさ、最初の引用文のように、自分がされたいことを他の人にしてあげる基準にすればいいんじゃないの?〉
確かにその通りなんだけど…。
僕は、「自分がされたいこと」と「自分がされて嫌なこと」では、後者の方が多くの人に当てはまるんじゃないかなって感じてるんだ。
〈どういうこと?〉
僕が「うれしい!」って思うことは、他の人も嬉しいと感じるかどうか自信がない。
でも、僕が「嫌だなぁ…」って思うことは、他の人も嫌だと感じるだろうと思ってる。
〈うーん、内容が表裏なだけで、本質は同じような気がするのにね〉
そうだね。不思議。
でも、結局、大切な場面では、心で納得していることしか役に立たない。
だから、これからも僕は「自分がされて嫌なことは、他の人にもしない」を行動基準にしていくと思う。
今回はこのぐらいで。
今日は精霊さん、だんまりだったね。
〔ボクはシャルとそれはもう長い付き合いですから。今さらシャルの行動基準の話に割り込むことはありません〕
そういうところ、問題点……とまでは言わないけど、ちょっと気になっちゃうよね。
〔記事の内容によって、話し手が限定されてしまうことがですか?〕
そう。
でも、このことは、見方によっては、ふたりは「ただの聞き手という役割しかないキャラクター」ではなく「シャルと深い関わりを持つ本物のイマジナリーフレンド」だという証明とも言えるのだけどね。
〈それは……悪くないわね〉
でしょう?
それでは、次回の記事で。
〔またお会いしましょう〕
〈ばいばい!!〉
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