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2019年の韓国映画「パラサイト」で世界的に有名になったのが「半地下」の部屋だが、私も以前半地下に住んだことがある。映画に出てくるほどの劣悪な環境ではなかったが、実際に共同玄関から4〜5段降りた高さにある個別のドアから出入りをし、やや高めの窓からは外を通る人々の足元が見えた。 当時は「チョンセ」といって多額の保証金を預けるだけで月々の家賃が要らない契約で部屋を借りていたが、同じ建物でも半地下となると保証金の額の差が結構大きく、背に腹は代えられまいと半地下に住むことになったのだ
■一人暮らしをとてもしたかった時期があったけれど、実際やってみたらあまりの寂しさでおかしくなってしまいそうだったので、結局実家に戻ってきてしまった。 そこで自分がここまでの寂しがり屋だったのか、と初めて気づいた。 家族やフォロワーさんと通話していても、その空間にある肉体は私のもの一つ、というのが耐えられなさすぎたのだ。 これは、確実に一人暮らしを経験しないとわからなかったこと。私に一人暮らしは無理だった、ということがわかっただけでもいい経験だっただろう。 ■親を頼れる間
春の光は朦朧と どこか狂気を滲ませ漂う 赤子の瞳(め)の初めて見た 光の靄の記憶のように 小さな放心を満たして 春のゆりかごは揺れている #詩 #詩人
何か問題があり、それを解決しようというときに、主たる手段が「買う」になってしまう、主たるどころか、それしか手段が無い、というのはマジで病気だなと思う今日この頃です。 これはGoogleで検索したところで同じで、なぜなら、検索で上位に出てくるのは、この世界が資本主義社会である限り、資本を増大させるパワーを持ったものであり、ページのランキングもその一つです。で、資本を増大させるということは、利益を乗せて「買う」ということです。だから、買うという解決策につながる情報が溢れるわけで