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コラム⑦「世間の声とは誰の声?」

2018年1月27日(土)
八重山日報・沖縄本島版

※※コラム『ちゅうざんの車窓から』※※

NO.7「世間の声とは誰の声?」

「不倫報道」最近、多いですよね。特に一昨年あたりから、政治家や芸能人 の不貞行為や男女の密会に関するスクープがかなり増えています。そもそも、 いつの世にも不倫はありますし、古今東西の文学の題材にもなっているくらい ですから、不倫自体が増えたのではなく、不倫報道の過熱ぶりが異常だという べきかもしれません。特に「文春砲」という言葉でおなじみの「週刊文春」を はじめ、いまや各メディアが取り扱う「不倫報道」の勢いは社会現象とも言え るでしょう。

 報道の内容がどこまでが真実なのか実際のところ分かりませんし、不倫の是 非や他人の不貞行為に口を挟むつもりはありません。そんなことは当事者たち が考えるべき問題だと思うからです。むしろ、気になるのは、報道の度にまっ たく関係のない他人が批判の声を上げ、プライベートに関して平気で謝罪を要 求する風潮です。さらには、不倫を許容するような意見を表明した人までバッ シングの対象になりつつあります。そして、それをあたかも世間の声であるか のように持ち上げ報道を繰り返すマスコミ。その結果、辞職や離党をする議員、 活動自粛や降板、引退する芸能人が後を絶ちません。それでも、マスコミは次 のターゲットを狙い、数日後には読者や視聴者も別のスキャンダルに夢中にな っています。

 もちろん、犯罪ではないとは言え、不倫による代償は自業自得。責任ある立場 であるほど、問われる節度やモラルは大きくなります。公人として職務を遂行 する政治家や広告スポンサーのついているタレントには一定の責任もあるでし ょう。しかし、不倫のとらえ方は人や事例によって異なり、当事者しか知りえ ない事情もあるはずです。テレビや週刊誌が掲げる「世間の声」とは、本当に 私たち一人ひとりの声なのでしょうか。さまざまな情報や意見が飛び交うから こそ、他人のバッシングに刹那的に便乗するよりも、相手の立場に歩み寄って 考える寛容さと冷静さを持ちたいものです。

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